奥村玉蘭『筑前名所圖會』に描かれた米一丸、その妻と、村雨について

      2017/03/30

米一丸の石塔婆は、九州大学箱崎キャンパスの南側にある。奥村玉蘭『筑前名所圖會』に、米一丸石塔婆についての記述がみられる。梗概を記しておく。




駿河の国に木下長者という人がいた。家は裕福であったが、子供に恵まれなかった。米山の薬師様にお祈りをすると、米一が生まれた。米一は、元服して若狭の国の湯の川長者という人の娘をもらった。湯の川長者の娘は、美しかった。ところで、木島長者も湯の川長者も、一条家の「家人」であった。一条何某は、米一丸の妻を奪おうと思い、米一丸を博多に行かせた。一条何某が筑後の国の柳川に行ったとき三池傳太の太刀を博多の某氏のところで質草に置いたことがあるので、それを受けだして来なさいというのが米一丸を博多にいかせる口実。博多にはあらかじめ、内々に連絡をして、米一丸が博多に下ったならば、速やかに殺すべく盗賊を手配するようにといいつけていた。米一丸は和泉の国の「境の浦」から船で博多に下った。博多では、竹勘九郎方に宿をとった。三池傳太の太刀は土居町の奥伊右衛門が持っていたので、米一丸は八千貫の代物を渡して三池傳太の太刀を受け取った。
用も済んだので帰ろうとするところを、内々に一条某氏から、命をうけていた人たちはまあ急ぐこともないよ、と、あちこちで酒宴をひらいて米一丸を足止めした。この頃の博多の奉行様は、茨彦左衛門というひとであった。奉行は、村雲という美女を米一丸に贈った。
米一丸は村雲に惹かれて博多に滞留した。米一丸が博多に滞留している間に、人々は蹴鞠や連歌の催しをして、いろいろ計画を立てて米一丸を討ち取ろうとしたが米一丸は勇猛な男であったので討ち取られなかった。そこで、米一丸を殺すよう言われた人々は、米一丸の宿を取り囲み、攻めた。米一丸は従者を従え、大勢の中に飛び出して行って戦ったが、多勢に無勢、かなうはずもなく、箱崎まで追い討ちにあった。従者も一人残らず討ち取られて、米一丸も深手を負ったので、箱崎の六本松で米一丸は自害をした。その場所に米一丸は葬られた。その顛末をきいた米一丸の妻は、博多に赴いて、悲しみに耐えず、米一丸の墓前で自害した。十六歳であったということである。村雲もこのことをきいて自害した。こちらは、十七歳であった。憐れんだ博多の人々は、米一丸が討ち死にしたところに、石塔を建てた。

米一丸の事件を、現代人の感覚で小説として読むと、一番興味ひかれるのは村雨の心理である。村雲が自殺をしたのはなぜだろうか。原文を引いておく。

故郷の妻この由を聞、博多に下り悲にたへず、米一が墓の前にて自害す、其年十六歳なりしとかや、村雲も是を聞て自害しぬ、是は十七歳なりしといふ 

奥村玉蘭『筑前名所圖會』

「是を聞て」の「是」とは何をさすのであろうか。米一丸が殺されたことであろうか。それとも米一丸の女房が米一丸の墓前で自害したことであろうか。『筑前名所圖會』を書いた奥村玉蘭は、米一丸の妻のことを、正妻ゆえに、村雨よりも前に書いただけで、時系列になっていないのかもしれない。時系列になっていなくて、村雨が、米一丸の妻よりも早く死んだとすると、「是を聞て」の「是」とは米一丸が殺されたことを意味することになる。


村雨が米一丸を殺める計略を知らされたうえで、米一丸と関係をもったのだとする。米一丸を好きになってしまったならば、村雨の心は、揺れ動いたであろう。米一丸に、あなたの命は狙われていますよ、といいたいが、村雨自身の目上の者の計画を邪魔してはいけないのだから。村雨が自害したのは、そんな葛藤を経て、結局米一丸が殺されてしまった(自殺ではあるが、殺されたようなものである。)ことで、米一丸に対して申し訳ないという気持ちでいっぱいになったからではないかしら。
もしかすると、米一丸が何回か虎口をのがれることができたのは、村雨から、今日あたり危ないよ、という情報が漏れていたのかもしれない。虎口を逃れたのは、米一丸が強かったからだという説明に奥村玉蘭『筑前名所圖會』ではなっているが。
『筑前名所圖會』での記述が、時系列になっていなくて、村雨が死んだ後、米一丸の妻が自死したのであれば村雨の自死を知ったうえで米一丸の妻が自死をした可能性が出てくる。その場合、村雨の自死を知った米一丸の妻に(妻自身がどこまで自覚していたかはわからないが)、私が妻なのよ、などといった村雨への対抗意識が生じたであろうことは想像に難くない。亡き夫のそばに行くにあたって、時間的に村雨に後れをとったので、空間的に夫に近いところをと考えて、墓前で自害をしたのかもしれない。夫が死ねば死んでしまうほど深い仲になっている女がいたんだというショックも、米一丸の妻が死んだ理由の一つに挙げることができるのではないだろうか。夫の死に、一条殿の存在が絡んでいると知っていたならば、米一丸の妻の自殺には、一条殿への当てつけの意味もあったに違いない。原文では「悲にたへず」自害したとしてはあるが、悲しみ以外の、これらの要素があった可能性も否定できない。すると、これらの感情を一切無視して、米一丸の妻が自殺をした理由を、悲しみに耐えなかったからだと一言で片づける奥村玉蘭の意識のありかたも、考えてみる必要が出てくる。

三国志演義ではあんな書かれ方をしてはいるが、呂布に与えられた美女貂蝉は、実際のところどんな気持ちだったろう。ふとそんなことを思った。

『筑前名所圖會』での記述が、時系列になっているとすれば、「是を聞て」の「是」とは米一丸の女房が米一丸の墓前で自害したことをさす可能性が出てくる。念のため、再掲しておく。

故郷の妻この由を聞、博多に下り悲にたへず、米一が墓の前にて自害す、其年十六歳なりしとかや、村雲も是を聞て自害しぬ、是は十七歳なりしといふ 奥村玉蘭『筑前名所圖會』

米一丸を、みすみす殺させてしまったのは、私が黙っていたからだ。黙っていたから、あんなきれいな奥さまも結局は死んでしまうことになった。二人とも私が見殺しにしたようなものだ。村雨が、計略を知っていたとするとそんな気持ちになって、お詫びの気持ちから死んだのかもしれない。
もしくは、米一丸の妻への対抗意識で、村雨は死んだのかもしれない。何女房気取りで居やがって、私だってこの人から愛されていたのよ。そこまで強くはっきりしたものではないにしても、対抗意識がなかったとは言いきれないだろう。
ただ、この場合、墓前で死ねなかったというのが、正妻でない女の哀れを感じる。
米一丸の石塔婆のそばには、米一丸のことについて説明する立て札がある。

その立て札には、米一丸の妻や、村雨のことは書かれていない。したがって、立て札を読んだだけでは、何のために、米一丸が博多に行ったのか、なぜ、夜討ちにあったのか、判然としない。故意に、米一丸の妻や村雨のことを省く理由はいろいろあるのだろうが、片手落ちだという印象が拭い去れない。
確かに、米一丸の妻や、村雨の生々しい感情は、教育的な、素朴な恋の物語からはみ出るところであろうが、ね。



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