酒と女

      2017/03/29

酒と女

古今亭志ん朝の何かの噺の枕で、若いうちは、おめえ、酒と女とどっちかて言われたらどっちとる?といっていたのが、年いくと、おめえ、毛と歯とどっちかって言われたらどっちとる?という具合になってしまうという内容のものがあった。
毛と歯と、あるいは酒と女とを二つながら、心ゆくまで、というのは、難しいらしい。




古今亭志ん朝「坊主の遊び」の枕にも、「お年を召したかたで、そっち(閑人注 女性)のほうになかなか盛んという方は、よく拝見しておりますと、まずお酒を召し上がらないですね。飲むところへはいらっしゃる。飲んでもほんのちょっとだけちょいとこう、なめるくらいにいただいてあとは召し上がらない。」とある。

有吉佐和子『紀の川』にも似たような記述がある。

「なな。酒が芯から好きな男は、女(おなご)の間違いは決して起こさんもんや」/酒は一合と飲めぬ敬策は、宴席では専らサイダーや番茶で座を持たしていた。そして、この彼の言葉を裏付けするように、敬策は女ではかなりの履歴があるのであった。真谷はんは酒も飲まんとからに、番茶でどないして女を口説くんやろうにの、と男たちが首を傾げて噂している。

酒と女と歌とを愛さないものは生涯馬鹿のままだと、宗教改革で有名な、マルティン・ルターが言ったそうだが、心ゆくまで、酒、女、歌三つとも愛するのは、どうも簡単なことではないらしい。
ヨハン・シュトラウス2世に、『酒、女、歌』なる名前の曲がある。ルターの言葉が、紆余曲折を経て、曲の名前になったそうな。
トルストイ『クロイツェル・ソナタ』にも、「酒、女、歌」と出てくる。

われわれは男が如何に女を見てゐるかを、よく承知してゐます。つまりWein、Weibe, und Gesang(酒と女と歌―独逸)で、現に詩人達も詩の中でかう歌つてゐます。(旧漢字は現行のものに改めた。また、くの字点が使われている箇所もなおしている。)米川正夫訳。

五木寛之『風に吹かれて』から引用する。

 人生の楽しみには、いろんなものがある。
 酒、女、賭けごと、なども楽しみにはちがいないが、いささか単純だ。
 悪口、貯金、浪費、などというのもある。五木寛之『風に吹かれて』

意地悪ばあさんに、も「酒、女」が出てくる。内容は次のようなもの。
ある男が、健康診断を受ける。医者曰く、問題ありません。いい気持ちで街を歩いている男に、看護服の意地悪ばあさんが、先生からの偽の伝言、「酒、女、たばこは慎むように」。男は、しょげかえる。

古今亭志ん朝演ずる「羽織の遊び」でも、「嫌だなあと思ったら、酒と女を、ツウっと考えろ、な、どんなつらいことだって我慢が出来ないことはねえんだ」とある。

次に挙げたような酒、女への言及のされ方は、沢山あるはずである。

真面目になろう。人間らしくなろう。これからは、決して酒も飲むまい。女も買うまい。きょうを最後に、おれは生まれ代わるのだ。
 だのに、高知へ着くとけろりとして酒を飲んだ。新橋駅の心の誓いなどてんで思い出してもみなかった。神戸へ上陸してからは、なけなしの財布の底を叩いて福原遊廓へも走り込んだ。おれという人間はもう箸にも棒にもかからないのだ。
佐藤垢石『みやこ鳥』

ハムブルグでもマルセーユでも我等の鋪甃(しきいし)を踏むところ酒と女と踊は太陽と一しよについて廻つてゐたのだからな、と間瀬をかゝへて立上つたが、間瀬がずり落ちてしまつたので、彼はひとり巧みな身振り腰つきでソロを始めた。
坂口安吾『外套と青空』

もちろん例外も探せばあるのだろうが、閑人の調べた限りでは、酒、女の順になっているあたり、興味深いものがある。

追記 飲む、打つ、買う、は男の三道楽とされている。「飲む」、は、酒、「打つ」、は、博打、買う、は、ご婦人、つまり女のこと。そうなると、酒、女、の間に博打が入り込むことになる。ただし、先に五木寛之『風に吹かれて』から引用した箇所では、「酒、女、賭けごと」となっている。
煙草をのまないご仁は、事に及んだあと時間をどのように過ごすのだろうとかいう文章をどこかで読んだ記憶があるが、事に及ぶ過程も、酒、女、たばこ、の順になりがちなのではないだろうか。最も、吉原では、登楼する前、煙草をのむことも多かったのかもしれないが。



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