朝寝

      2017/04/19

朝寝*寝坊についてはまとめておらん




今日は朝寝をした。今十一時である。山頭火の日記に「五時前起床、子供と老人とは朝寝が出来ない!」とある。漱石『吾輩は猫である』にも「六十七になって寝られなくなるなあ当り前」とある。朝寝は、できるうちにしておくほうが賢明である。朝寝といえば、小説の題になっているせいか、まず、森鷗外『朝寐』を思い浮かべる。「朝寐とは晏(おそ)く起くることにて、その晏しといふは、比較の詞(ことば)なること勿論なり。」(鷗外『朝寐』)とある。したがって、朝寝をしたといっても、ふたを開けてみれば、おきる時間はさまざまである。山頭火なぞは七時くらいでも、朝寝をしたと言っていたっけ。朝寝の男は十二時過ぎまで寝ても、「朝寝」であった。(ようにきおくしている。)
鷗外『朝寐』に、ある元帥は起きようという時に起きるとあった。
要するに、起きようという時(あるいは起きるべきとされているときに)に起きられなかったら朝寝なのである。
閑人(筆者のこと)の母は、朝寝をしたら、怒られたそうである。母は田舎の明治生まれの女性に育てられた。
朝寝をよくないものとしてとらえる向きがあるのは確かである。牧野信一『籔のほとり』に「朝寝を罪悪と心得てゐる樽野の祖母であつた。」とある。亭主に寝顔見せるは女の恥、という言い回しがある。朝寝を罪悪とするのと少しは関係がありそうである。小説内で朝寝をする女性に触れてある例を挙げておく。

母はなかなかきかない気象の婦人であったから、存命中は婿養子との折合も好くなく、とかく家庭に風波の絶間もなかったが、それだけ一方にはしゃんとしたところを持っていた。お三輪が娘時分に朝寝の枕もとへ来て、一声で床を離れなかったら、さっさと蒲団(ふとん)を片付けてしまわれるほど厳(きび)しい育て方をされたのも母だ。

島崎藤村『食堂』

旦那様は奥様の御機嫌を取るようになすって、御小使帳が投遣(なげや)りでも、御出迎に出たり出なかったりでも、何時まで朝寝をなさろうとも、それで御小言も仰らず。

島崎藤村『旧主人』

 

細君はよく寐る女であった。朝もことによると健三より遅く起きた。健三を送り出してからまた横になる日も少なくはなかった。こうしてあくまで眠りを貪(むさ)ぼらないと、頭が痺(しび)れたようになって、その日一日何事をしても判然(はっきり)しないというのが、常に彼女の弁解であった。

漱石『道草』

突然お腹(なか)へ差込(さしこ)みが来るなどと大騒ぎをするかと思うと、納豆(なっとう)にお茶漬を三杯もかき込んで平然としている。お参りに出かける外(ほか)、芝居へも寄席(よせ)へも一向(いっこう)に行きたがらない。朝寝が好きで、髪を直すに時間を惜しまず、男を相手に卑陋(びろう)な冗談をいって夜ふかしをするのが好きであるが、その割には世帯持(しょたいもち)がよく、借金のいい訳がなかなか巧(うま)い。

永井荷風『妾宅』

どちらの引用箇所でも、朝寝をいいものとしては扱っていないことがうかがえる。
志ん生の演じる演目のなかに、玄人あがりにも関わらず、朝寝はせず、針は言うに及ばず借金の言い訳、など女一通りのことはできた、という女性が登場していたのをふと思い付いた。たなみに、古今亭志ん朝「幾代餅」の枕では、「月琴、借金の言い訳までできる」玄人の女なるものが、紹介されることがある。

朝寝の用例をもう少し拾っておく。福沢諭吉『学問のすすめ』でも、朝寝について戒めてある。

譬(たと)えばここに一少年あらん。学者先生に接してこれに心酔し、その風に倣わんとしてにわかに心事を改め、書籍を買い、文房の具を求めて、日夜机に倚(よ)りて勉強するはもとより咎(とが)むべきにあらず。これを美事と言うべし。然りといえどもこの少年が先生の風を擬するのあまりに、先生の夜話に耽(ふけ)りて朝寝するの癖をも学び得て、ついに身体の健康を害することあらば、これを智者と言うべきか。けだしこの少年は先生を見て十全の学者と認め、その行状の得失を察せずして悉皆これに倣わんとし、もってこの不幸に陥りたるものなり。
 支那の諺に、「西施(せいし)の顰(ひそみ)みに倣う」ということあり。美人の顰みはその顰みの間におのずから趣ありしがゆえにこれに倣いしことなればいまだ深く咎むるに足らずといえども、学者の朝寝になんの趣あるや。朝寝はすなわち朝寝にして、懶惰(らんだ)不養生の悪事なり。人を慕うのあまりにその悪事に倣うとは笑うべきのはなはだしきにあらずや。されども今の世間の開化者流にはこの少年の輩(はい)はなはだ少なからず。 

福沢諭吉『学問のすすめ』

先生相変わらず、かたいことばかり書いている。石川啄木 『渋民村より』に「小生の経験によれば朝寝を嫌ひな人に、話せる男は少なき者に御座候呵々」とある。閑人には、福沢諭吉の紙幣に、縁がない。おもいのさま、悪口を言います。福沢諭吉は、話せない男である。朝寝は、悪いものだ、あるいは、できないものだという意識があるから、心地よいのかもしれない。啄木の書いたものから、いま少し引用しておく。

朝寝して新聞読む間(ま)なかりしを
負債(ふさい)のごとく
今日も感ずる。 

石川啄木『悲しき玩具―一握の砂以後―』

誰しも朝の出勤時間の、遅くなるなら格別、一分たりとも早くなるのを喜ぶ人は無いと見える。自分は? 自分と雖ども実は、幾年来の習慣で朝寝が第二の天性となつて居るので……

石川啄木『雲は天才である』

西向なれば、明々と旭日に照らさるゝ事なくて、我は安心して朝寝の楽を貪(むさぼ)り得る也。午前十時頃に起きて、朝餐と昼餐を同時に喰ふは趣味多き事なれど、この頃は大抵九時頃に起床を余儀なくせらる。 

石川啄木『閑天地』

朝寝を妨げられるのは、いいものではない。
「あすは日曜だから、ゆっくり朝寝が出来る。日曜のたのしみは、そればかりだ。」(太宰治『正義と微笑』)とあるが、朝寝が妨げられないから、日曜も少ないながら、楽しみが存在するのである。
朝寝を妨げられる人物が描かれる例を挙げておこう。

以前は一切無門関、勝手(かって)に屋敷の中を通る小学校通いの子供の草履ばた/\で驚いて朝寝の眠(ねむり)をさましたもので     

徳冨蘆花『みみずのたはこと』 

楢雄は高槻の学校の近くにある将棋指南所へ毎日通つた。毎朝京阪電車を降りると学校へ行く足を指南所へ向け、朝寝の松井三段を閉口させた。楢雄は松井三段を相手に専門棋師のやうな長考をした。松井三段は腐つて、何を考へてゐるのかと訊くと、楢雄はにこりともせず、
「人間は一つのことをどれ位辛抱して考へられるか、その実験をしてゐるんだ。」
 と、答へた。楢雄は進級試験の日にも指南所へ出掛け、落第した。

織田作之助『六白金星』

そうして、警報が出た翌朝も、清二は早くから自転車で出勤した。奥の二階でひとり朝寝をしている正三のところへ、「いつまで寝ているのだ」と警告しに来るのも彼であった。

原民喜『壊滅の序曲』

起こされても、朝寝をすることはある。以下二つ、その用例。

最前(さいぜん)のように襖(ふすま)の入口から
「まだお起きにならないのですか」と声をかけたまま、しばらく立って、首の出ない夜具を見つめていた。今度も返事がない。細君は入口から二歩(ふたあし)ばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんですか、あなた」と重ねて返事を承わる。この時主人はすでに目が覚(さ)めている。覚めているから、細君の襲撃にそなうるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立て籠(こも)ったのである。首さえ出さなければ、見逃(みのが)してくれる事もあろうかと、詰まらない事を頼みにして寝ていたところ、なかなか許しそうもない。しかし第一回の声は敷居の上で、少くとも一間の間隔があったから、まず安心と腹のうちで思っていると、とんと突いた箒が何でも三尺くらいの距離に追っていたにはちょっと驚ろいた。のみならず第二の「まだなんですか、あなた」が距離においても音量においても前よりも倍以上の勢を以て夜具のなかまで聞えたから、こいつは駄目だと覚悟をして、小さな声でうんと返事をした。
「九時までにいらっしゃるのでしょう。早くなさらないと間に合いませんよ」
「そんなに言わなくても今起きる」と夜着(よぎ)の袖口(そでぐち)から答えたのは奇観である。妻君はいつでもこの手を食って、起きるかと思って安心していると、また寝込まれつけているから、油断は出来ないと「さあお起きなさい」とせめ立てる。

漱石『吾輩は猫である』

学校の庭で毎朝ラヂオ体操があるから一処に行かうと彼は毎朝早く僕と僕の子供を起しに来るのであつたが、僕はつい朝寝をしてしまつて三回しか同行出来なかつた。

牧野信一『魚籃坂にて』

寒いと、おきたくないのは、人情である。もう一度、啄木の文章から引用する。
火鉢に火が入つて、少しは室(へや)の暖まるまでと、身体を縮めて床の中で待つて居たが、寒国の人は総じて朝寝をする、漸々(やうやう)女中の入つて来たのは、ものの一時間半も経つてからで、起きて顔を洗ひに行かうと、何気なしに取上げた銀鍍金(めつき)の石鹸函(しやぼんばこ)は指に氷着(くつつ)く、廊下の舗板(しきいた)が足を移す毎にキシ/\と鳴く、熱過ぎる程の湯は、顔を洗つて了ふまでに夏の川水位に冷えた。

石川啄木『菊池君』

そんな寒さも、克己心で何とかできるらしい。これも先に引用した『みみずのたはごと』から引用。

翁の灌水は夏はもとより冬も此斗満川でやったのだ。此斗満の清流が数尺の厚さに氷結した冬の暁、爛々たる曙の明星の光を踏んで、浴衣(ゆかた)一枚草履ばきで此川辺に下り立ち、斧(おの)で氷を打割って真裸に飛び込んだ老翁の姿を想い見ると、畏敬の情は自然に起る。

徳冨蘆花『みみずのたはこと』

朝起きは三文の徳という。似たような言い回し「The early bird catches the worm.」が、英語にあるのは、ご案内の通り。結句、朝寝が得か、損なのか。
落語「三枚起請」でも使われることがある、都々逸に、「三千世界のカラスを殺しぬしと朝寝がしてみたい」とある。高杉晋作の作だとか何とか云われているようだが、恋人一緒に朝寝をすることができたら、いいものだろう。恋人がいて、一緒に朝寝ができるようなら、朝寝が得であろう。次に、原民喜『夏の花』から引用する。これも命が助かるという点において、朝寝で、得をした例である。

 私は厠(かわや)にいたため一命を拾った。八月六日の朝、私は八時頃床を離れた。前の晩二回も空襲警報が出、何事もなかったので、夜明前には服を全部脱いで、久し振りに寝間着に着替えて睡(ねむ)った。それで、起き出した時もパンツ一つであった。妹はこの姿をみると、朝寝したことをぶつぶつ難じていたが、私は黙って便所へ這入(はい)った。

原民喜『夏の花』

広島原爆投下されたのは、昭和二十年八月六日八時十五分とされている。「私」が、原爆投下時に厠にはいっていたのは、朝寝をして起きだしたのが遅かったからであろう。朝寝も、馬鹿にはできない。森鷗外『心中』では、お爺さんが、「毎朝五時が打つと二階へ上がって来て、寝ている女中の布団を片端(かたっぱし)からまくって歩いた。朝起は勤勉の第一要件である。お爺いさんのする事は至って殊勝なようであるが、女中達は一向敬服していなかった。そればかりではない。女中達はお爺いさんを、蔭で助兵衛爺(すけべえじい)さんと呼んでいた。これはお爺いさんが為めにする所あって布団をまくるのだと思って附けた渾名(あだな)である。そしてそれが全くの寃罪(えんざい)でもなかったらしい。」(森鷗外『心中』)。爺さんにとっては、爺さん自身の朝寝は、損である。落語「芝浜」でも、亭主朝寝をしていたら、財布を拾うこともあるめえ。しかし、朝寝をしていたら、好意からとはいえ女房に騙されることもなかったはずである。三代目桂米朝演ずる落語「持参金」に早起き三両宵寝は五両とある。しかし、登場する男、早起きした日、借金の取り立てにあうが、まわりまわって女房を得る。けれどこの女房はおなかに子を宿しておる。
朝寝で損することもあれば得することもある。人間万事塞翁が馬。気楽に生きることが大切。このコラムも残りはますます気楽にまとめる。引用の羅列。気楽さを演出するため、落語に結び付けてコメントしているのもある。ご覧あれ。

 

その日は魚屋の定休日であった。金サンはうんと朝寝して、隣の床屋へ現れた。
「相変らず、はやらねえな」
 お客は一人しかいなかった。源サンはカミソリをとぎながら目玉をむいて、
「何しにきた」

坂口安吾『町内の二天才』

これじゃあ、いかん。お客は怖くなる。古今亭志ん朝演ずる落語「不精床」の枕に「刃物を扱うなんというご商売(中略)というものは、昔から世辞というものを大事にしたんだそうですな」とある通り、刃物を持つ商売は、世辞が大切。

「そうかな……。兎に角この……桜の咲きかける時分が一番眠いものだが、お前も休みだからって朝寝をしないで、しっかり勉強しなくちゃいけないよ。」
 だが……調子も穏かだし、こちらを向いてもいなかった。

豊島与志雄『童貞』

古今亭志ん生によると、左甚五郎くらいになると、猫と話ができるらしい。日光東照宮の眠り猫の横には、ボタンが彫られてあるそうで。眠っている猫の横にボタンが描かれるのは、猫はボタンの花の咲くころが一番眠くなるからであるそうな。左甚五郎は、猫と話してそれを知ったから、ボタンを彫ったんだと志ん生はかたる。志ん生は、今笑った方、この話は本当ですよといっている。こういうとき、「私の意見じゃないんですから」というのは志ん朝。

 鳶(とび)ノ巣山(すやま)初陣(ういじん)を自慢の大久保彦左(ひこざ)があとにも先にもたった一度詠(よ)んだという句に、
「おれまでが朝寝をしたわい月の宿」
 という珍奇無双なのがあるそうですが、月に浮かれて夜ふかしをせずとも、この季節ぐらい、まことにどうも宵臥(よいぶ)し千両、朝寝万両の寝ごこちがいい時候というものはない。やかまし屋で、癇持(かんも)ちで、年が年じゅう朝早くからがみがみと人の世話をやいていないことには、どうにも溜飲(りゅういん)が起こって胃の心持ちがよくないとまでいわれた彦左の雷おやじですらもが、風流がましく月の宿なぞと負け惜しみをいいながら、ついふらふらと朝寝するくらいですから、人より少々できもよろしく、品もよろしいわが捕物(とりもの)名人が、朝寝もまた胆の修業、風流の一つとばかり、だれに遠慮もいらずしきりと寝ぼうをしたとてあたりまえな話です。

佐々木味津三『右門捕物帖 卒塔婆を祭った米びつ』

古今亭志ん朝演ずる「小言幸兵衛」にも、長屋じゅうに小言を言っておかないとお飯がうまく食えないとある。右門捕物帖は、シリーズものである。このシリーズ、はじめの一文は、ほとんど「第○○番てがら」というフレーズを含む。太宰作品で書き出しに凝る太宰を思わせる人物がたびたび登場する。佐々木味津三が、凝って凝って凝った挙句、一回りして右門捕物帖は、あのような書き出しになったのかもしれない。

朝寝も好きなら宵寝も好きなる事、百日紅の如きは滅多(めつた)になし。

芥川龍之介『雑筆』

春に芽を出すのが遅いことを、朝寝、秋に葉を落とすことが早いことを宵寝に例えている。一年を一日としてみると、なるほどそう言うことになる。
井伏鱒二『屋根の上のサワン』に、朝早く起きてやろうという風に決意する男が描かれていたように記憶している。



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