パイナップル(pineapple)

      2017/03/27

パイナップル(pineapple)

先日、シュラスコなる南米の肉料理を食べたが、食べ始めてしばらくすると、焼きパイナップルをすすめられた。村井弦斎『食道楽』に「牛肉を食べた後にパインナプルを喫すると消化が速い。試みに牛肉へパインナプルの汁をかけておくと肉が溶けて筋ばかり残るそうだね。」とある。肉料理と、パイナップルを同時に出すのは、理にかなっている。私がシュラスコを食べた店の肉は、食べ放題であった。私が店長なら、パイナップルなんか出さない。「パインナプルの汁をかけておくと肉が溶けて筋ばかり残る」ということは、客の胃袋に肉が余計入ることになる。冗談じゃない。
近代文学作品中では、パイナップルは、「パイナップル」、「パインアップル」、「パインナプル」、「鳳梨」、「あななす」といった表記となる。パイナップルが作品中にでてくれば、その作品中には「バナナ」という文字もみられることが多い印象を受ける。暫く、作品内にバナナとパイナップルと二つながら登場する例を挙げる。

まして台湾以南の熱帯地方では椰子(やし)とかバナナとかパインアップルとかいうような、まるで種類も味も違った菓物がある。

正岡子規『くだもの』

バナナも旨い。パインアップルも旨い。桑の実も旨い。槙(まき)の実も旨い。くうた事のないのは杉の実と万年青(おもと)の実位である。

正岡子規『くだもの』

特別の御馳走はフルーツサラダで、バナナ、パインアップル、桃やネーブル、ほし葡萄と胡桃も交り豪しやなもので、食後は長崎カステラとおせん茶であつた。

片山廣子『季節の変るごとに』

われわれが再びバナナやパインアップルを貪り食うことのできるのはいつの日であろう。

永井荷風『葛飾土産』

門司ではバナナや鳳梨(あななす)の匂を嗅ぎながら税関の前に出るとすぐ煤烟のなかを小蒸汽に乗つて関門海峡を渡つたので都会と云ふ印象よりも殖民地といふ感が強かつた、究竟(つまり)、都会としての歴史や奥行といふものがなく出口と入口とが同一(いつしよ)になつてゐるからであらう。

北原白秋『新橋』

 ただ、あの島の日光は全く金色(こんじき)に照り輝いていた。午後の二時三時になると、まっ白い雲の光までが底深い金色にぎらぎらした、どんな油絵具でも、あの強烈な光は出せなそうに思えた。それに犬の男根のような若芽の護謨(ゴム)苗や、浅緑の三尺バナナや、青くて柔かな豆の葉や、深い緑のトマトの葉、褐色の鳳梨(パイナップル)やが、朱紅色の土の上に、まるで印度更紗(インドさらさ)のように、いやそれよりも生々しい極彩色の絵模様として綴られてあった。

北原白秋『フレップ・トリップ』

 


この時二郎は静かに頭をあげて月を仰ぎしが急に身を起こしてかなたこなたと歩みつつ、ああ心地よき夜やと言い、皿よりパインアップルの太き一片を取りて口に入れつ、われを顧みて、なんじその杯を干してわれに与えずや。かれはわが杯を受けて心地よげに飲み干し、大空を仰ぎて、愛盗まれし者の受くべき報酬(むくい)はげに幸いなりき、十蔵なんじもその一人ならずやと杯を十蔵が前に置きぬ。

国木田独歩『おとずれ』

国木田独歩『おとずれ』中の、ここでは引用しなかった箇所に、バナナという文字がある。

 南下中の列車や軍用船で、いろいろ南方の話題が出る。彼等の希望のひとつが、バナナや生のパイナップル、それらを腹いっぱい食べたいということである。彼等は豊潤な果実に餓えていた。

梅崎春生『狂い凧』

「彼等」が希望は、台湾にてかなう。「しかしパイナップルは案外不味かった。がさがさしててね。あれだけは罐詰に限ると思った」とある。何事につけ、ほしいものを得るまでが幸せ。
パイナップルの缶詰が描かれている例を、次に挙げていくことにする。

 次郎と運平老とが剣道をすまして帰って来ると、またみんなが茶の間に集まって、パイナップルの罐詰をあけた。

下村湖人『次郎物語』

 今夜は、兄さんと、とてもつまらぬ議論をした。たべものの中で、何が一番おいしいか、という議論である。いろいろ互いに食通振(しょくつうぶ)りを披瀝(ひれき)したが、結局、パイナップルの鑵詰(かんづめ)の汁(しる)にまさるものはないという事になった。桃の鑵詰の汁もおいしいけど、やはり、パイナップルの汁のような爽快(そうかい)さが無い。パイナップルの鑵詰は、あれは、実(み)をたべるものでなくて、汁だけを吸うものだ、という事になって、
「パイナップルの汁なら、どんぶりに一ぱいでも楽に飲めるね。」と僕が言ったら、
「うん、」と兄さんもうなずいて、「それに氷のぶっかきをいれて飲むと、さらにおいしいだろうね。」と言った。兄さんも、ばかな事を考えている。

太宰治『正義と微笑』

「僕」のなかで、兄さんなる存在は、日を追うごとに、かつての地位を失っていく。その分、「僕」が成長したともいえるのだが。そんなところに注目して、この小説を読むのも面白いと思う。「食通」という言葉が出てきたが、太宰は「食通」で「食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている」としている。太宰治『水仙』では、シジミは、身を食べるものでなくて汁を吸うものだと悟る男が描かれている。

 彼はその憂欝の底から、蔦子と知り合った初めのこと、なおそのも一つ前のことを、まざまざと思い浮べるのだった。
 彼が勤めていた依田商事会社に、貿易品を取扱う或る大きな株式組織の商会から、金融の相談があった。担保物件は価格明記の倉荷証券で、台湾製のパイナップル缶詰四千箱について、一万二千円の申込だった。その三ダース入の一箱は、当時の担保相場としては五円ほどのもので、一箱三円とはむしろ少額にすぎる要求だった。

豊島与志雄『死の前後』

 しかし昼食を終っても、妻は口にこそ出さないが、私を帰したがらない。私は早く帰って、仕事をしなければならないとは思う。が、私も妻の病床から離れ難い。そんなところへ見舞客が来る。私は客を残して帰るわけにはいかない。
「田口さん、パイナップルの缶詰をあけて下さい」
 見舞客が帰ると、直ぐ妻はそんなことを言う。私はまた帰りばなを失ってしまう。そんな風にして、私が漸く腰を上げるのは、いつも夕方近くなる。

外村繁『落日の光景』

生のパインアップルと明記されている例は存外少ない。

だぼはぜ嬢は、相不変(あいかわらず)の心臓もので、ぼく達よりも一船前にホノルルを去った野球部のDさんやHさんに、生のパインアップルをやけに沢山(たくさん)託(こと)づけました。船室に置いておいたら、いつの間にか誰(だれ)か食ってしまい、ぼくには、そんな空(むな)しい贈(おく)り物をする、だぼはぜ嬢さんが哀(あわ)れだった。

田中英光『オリンポスの果実』

小説中で、パイナップルの出てくる例として以下の箇所を挙げておく。

濠端(ほりばた)の近くにあった下宿の部屋が憂鬱(ゆううつ)になって来ると、近所にいた友人の画家を誘って、喫茶店の最初の現われとも言える、ミルク・ホウルともフルウツ・パラアともつかない一軒の店で、パイン・アップルを食べたり、ココアを飲んだりした。

徳田秋声『仮装人物』

折角苦労して沢山のパイナップルを作り、それを自分達で喰べもせずに、船に載せて他処へ運んで了うに至っては、土人の大部分にとって、全く愚にもつかぬナンセンスである。

中島敦『光と風と夢』

更に出版権にからまる絶え間ない訴訟事件があり、代議士立候補のための、進んでは大臣になるための政見を発表し、しかも時々バルザックは一八二五年の破局にもこりず熱病にかかったように大仕掛の企業欲にとりつかれ、サルジニアの銀鉱採掘事業や、或る地勢を利用して十万のパイナップル栽培計画を立て、新式製紙術の研究にまで奔走したのである。実にバルザックの生活は目もくらむばかりの熱気に顫える一大機関のようであった。

宮本百合子『バルザックに対する評価』

八月六日。晴。朝、例によりて苦悶す。七時半麻痺剤を服し、新聞を読んでもらふて聞く。牛乳一合。午餐。頭苦しく新聞も読めず画もかけず。されど鳳梨(パインアップル)を求め置きしが気にかかりてならぬ故休み休み写生す。これにて菓物帖(くだものちょう)完結す。

正岡子規『病牀六尺』

当地の物価は英国の二倍、豪州より三、四割高し。絵葉書一枚八銭以上、ビール一杯二十五銭とす。ただ安きものは果物にして、パイナップル一個三銭なり。

井上円了『南半球五万哩』

 松木は、酒保から、餡(あん)パン、砂糖、パインアップル、煙草などを買って来た。

黒島伝治『渦巻ける烏の群』

「吉永から貰った金で、すぐさま、女の喜びそうなものを買って来たことをきまり悪く思った。」「砂糖とパイナップルは置いて来ればよかった。」と引用部よりも後の箇所にある。買ったものの中で少なくとも、砂糖とパイナップルは、女の喜びそうなものということになるのだろう。



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