松毬

      2017/03/31

松毬

松ぼっくりについてまとめる。柳田国男『こども風土記』によれば、「近畿一帯で松毬(まつかさ)をチチリ・チンチロなどという」とのことである。燃える様子から、そういわれるようになったのであろう。松ぼっくりは、燃料とされることが多いらしい。




「姉と妹とがあつてね、」私は、ふいとそんなお伽噺をはじめた。姉と妹が、母親から同じ分量の松毬(まつかさ)を与へられ、これでもつて、ごはんとおみおつけを作つて見よと言ひつけられ、ケチで用心深い妹は、松毬を大事にして一個づつ竈(かまど)にはふり込んで燃やし、おみおつけどころか、ごはんさへ満足に煮ることが出来なかつた。姉はおつとりして、こだはらぬ性格だつたので、与へられた松毬をいちどにどつと惜しげも無く竈にくべたところが、その火で楽にごはんが出来、さうして、あとに燠(おき)が残つたので、その燠でおみおつけも出来た。「そんな話、知つてる? ね、飲まうよ。竜飛へ持つて行くんだつて、ゆうべ、もう一つの水筒のお酒、残して置いたらう? あれ、飲まうよ。ケチケチしてたつて仕様が無いよ。   

太宰治『津軽』

酒を飲もうと、知恵を絞るようすは、思わず笑ってしまう。禁酒をネタにした小話などは多い。禁酒については、こちらでまとめている。
次に、燃料としての松ぼっくりを読み込んだ俳句とその解説を引用する。

松笠の火は消(きえ)やすき涼みかな    萬風

 

そこらに落ちている松毬(まつかさ)を集めて火をつける。一時よく燃えそうに見えるが、じき消えてしまう。その消えやすいところを面白がっているようにも見える。涼み人の手すさびを詠んだので、キャンプの人などにはこういう経験があるに相違ない。
 土芳が芭蕉を泊めた時の句に「おもしろう松笠もえよ薄月夜」というのがあった。同じ物を焚くにしても、材料が松毬となると、一種の雅致を生じ、必要以上の興味がある。町中(まちなか)の涼みでは到底こんな趣を味うことは出来ない。 

柴田宵曲『古句を観る』

芭蕉の句「おもしろう松笠もえよ薄月夜」の句については、虚子も書いている。

「おもしろう」の句は、芭蕉をとめた時の句で、何も御馳走(ごちそう)もなく歓待のしようもない、折節の薄月夜に、そこに七輪なり竃の下なりに焚いている松笠(まつかさ)でもおもしろう燃えたらよかろう、というのであります。 

高浜虚子『俳句とはどんなものか』

柴田宵曲は、「同じ物を焚くにしても、材料が松毬となると、一種の雅致を生じ、必要以上の興味がある」と書いているが、物を焚くのが、永井荷風となると、少しくイメージが変わってくる。作家の持つイメージというのは、結句、排除できないのではないだろうか。

わたくしは日々手籠(てかご)をさげて、殊に風の吹荒れた翌日などには松の茂った畠の畦道(あぜみち)を歩み、枯枝や松毬(まつかさ)を拾い集め、持ち帰って飯を炊(かし)ぐ薪(たきぎ)の代りにしている。 

永井荷風『葛飾土産』

先代と二代目広沢虎造「清水次郎長伝 血煙荒神山」をきくと、荒神山のまちがいは、蛤一式の料理屋の看板娘に徳次郎なる親分が惚れなければ起こらなかったように感じる。看板娘には、やくざ者の恋人がいた。徳次郎は妬きました。これが、まちがいのもと。
蛤は、松毬で焼くとよいようで。

「そのな、焼蛤は、今も町はずれの葦簀張(よしずばり)なんぞでいたします。やっぱり松毬(まつかさ)で焼きませぬと美味(おいし)うござりませんで、当家(うち)では蒸したのを差上げます、味淋(みりん)入れて味美(あじよ)う蒸します。」
「ははあ、栄螺(さざえ)の壺焼(つぼやき)といった形、大道店で遣りますな。……松並木を向うに見て、松毬のちょろちょろ火、蛤の煙がこの月夜に立とうなら、とんと竜宮の田楽(でんがく)で、乙姫様(おとひめさま)が洒落(しゃれ)に姉(あね)さんかぶりを遊ばそうという処、また一段の趣(おもむき)だろうが、わざとそれがために忍んでも出られまい。……当家(ここ)の味淋蒸、それが好(よ)かろう。」
 と小父者(おじご)納得した顔して頷(うなず)く。
「では、蛤でめしあがりますか。」 
 
 泉鏡花『歌行燈』

鏡花『古狢』からも引用しておく。

それと、戸前(かどさき)が松原で、抽(ぬきん)でた古木もないが、ほどよく、暗くなく、あからさまならず、しっとりと、松葉を敷いて、松毬(まつかさ)まじりに掻(か)き分けた路も、根を畝(うね)って、奥が深い。いつも松露の香がたつようで、実際、初茸(はつたけ)、しめじ茸は、この落葉に生えるのである。  

泉鏡花『古狢』

芥川竜之介『O君の新秋』から引用する。

松は僕等の居まはりにも二三尺の高さに伸びたまま、さすがに秋らしい風の中に青い松かさを実のらせてゐた。
「松ぼつくりと云ふものはこんな松にもなるものなんだね。」
 O君はブラツシユを動かしながら、僕の方へ向かずに返事をした。
「女の子が妊娠(にんしん)したと云ふ感じだなあ。」

芥川龍之介『O君の新秋』

女の子が、妊娠をして、アンバランスな体型になった様子を連想したのか、もしくは、子供子供と思っていた女の子が、いつの間にか(結婚して)子を宿したことへの意外性にたとえたのか。『O君の新秋』から続けて引用する。

O君はけふも不相変(あひかはらず)赤シヤツに黒いチヨツキを着たまま、午前十一時の裏庇(うらびさし)の下に七輪(しちりん)の火を起してゐた。焚きつけは枯れ松葉や松蓋(まつかさ)だつた。僕は裏木戸(うらきど)へ顔を出しながら、「どうだね? 飯(めし)は炊(た)けるかね?」と言つた。が、O君はふり返ると、僕の問には答へずにあたりの松の木へ顋(あご)をやつた。
「かうやつて飯を炊(た)いてゐるとね、松は皆焚きつけの木――だよ。」

芥川龍之介『O君の新秋』

松葉は、いぶすのに使ったりもする。松葉いぶしの例はたくさんあるだろうから、一つだけ挙げておく。(松葉いぶしについてはこちら)

松葉で燻(くす)べて何が治るもんですかい。狐を追い出すいうて、人がきいたら笑いますぜ。日本中の神さんが寄って来たとて、風邪一つ治るものじゃありません。こんな詐欺師のような巫女が、金ばかり取ろうと思って……。 

菊池寛『屋上の狂人』

燃料としての松ぼっくりの用例ばかり挙げてきたが、松ぼっくりには、食べられる部分もある。食料としての松ぼっくりの用例を挙げて、終わる。

木の根木の皮草の茎(くき)松笠までも食い尽くした。

国枝史郎『蔦葛木曽棧』

上高地温泉といへば日本アルプスの名と共に殆んど一般的に聞えた所であるが、アルプス登山期が七月中旬から八月中旬に限られてある樣に、その時期を過ぐれば此處もほんの山上の一軒家になり終るのである。況して私どもの辿りついた十月なかばといふには無論のこと一人の客もなく、家には玄關からして一杯に落葉松(からまつ)の松毬(まつかさ)が積み込まれてあつた。通された二階は全部雨戸が閉ざされて俄に引きあけた一室には明るく射し込んだ夕日と共に落ち溜つた塵埃(ぢんあい)の香がまざ/\と匂ひ立つた。湯ばかりは清く澄み湛へてゐたが、その流し場にはほんの一部を除いて處狹く例の松毬が取り入れられてあつた。これを碎いて中のこまかな種子を取れば一升四圓とかの値段で賣れるのださうである。そのために二三人の男が宿屋の庭で默々と働いてゐた。 

若山牧水『樹木とその葉 火山をめぐる温泉』




 - 文学作品の中の植物