蚊について

      2017/03/27

蚊について

昨晩は、師走にしてはたいそう暖かかった。暖かいと眠くなる。逸民の眠りを妨げるものあり。曰く、蚊。二代目広沢虎造の「国定忠治・山形屋乗り込み」に「すごそうな文句を並べていたが俺にゃ蚊の鳴くほどにも思わねえぜ」とある。忠治は、豪傑だから、そうかもしれないが、閑人(筆者のこと)にとっては、蚊が鳴くだけでも困るのだ。寝れやしない。
こんな時でもないと書かないだろうから、蚊が出てくる作品を思いつくまま挙げていく。青空文庫の助けを借りながら。
太宰治『葉』には次のようにある。「婆様」の発言である。




「秋まで生き残されている蚊を哀蚊と言うのじゃ。蚊燻(かいぶし)は焚(た)かぬもの。不憫(ふびん)の故にな」 
太宰治『葉』

「婆様」は「哀蚊はわしじゃがな。」とも発言をしている。「生き残っている」ではなく「生き残されている」としているところは重要であろう。「婆様」は未婚である。「婆様」を犠牲にして「婆様」の家の身代は築かれた。「婆様」は、「母屋のご祝言」の日の晩、その日祝言をあげた若夫婦の部屋を覗く。哀蚊は、確かに「婆様」のイメージと重なるようである。しかし、「蚊」に「婆様」がたとえられるのは、少し妙でもある。蚊は生き血を吸うものである。蚊に吸われた者は、蚊の犠牲になったともいえる。「婆様」は家の犠牲になった。「婆様」は生き血を吸われた側である。「哀蚊」の「哀」は間違いなく「婆様」をさすのだろうが、「蚊」は一体何をさすのか。人をさすのさ。人をさす描写を牧野信一『蚊』から引用しておく。

 いつの間にか長い夕暮がすつかり暮れてしまひました。
 蚊が一匹私の腕に止つてゐるのに、チクリとしたので気が附きました。私は「畜生め。」と下唇をそつと噛んで、たゝき潰さうと平手を挙げた時、だんだんに腹のふくれて行くところを見てゐたいやうな気がして、その儘ぢつと、専念に、蚊を見詰めました。
牧野信一『蚊』

「私」は「チクリ」とするまで何を考えていたか。女のことである。「若しも貴方が妾に裏切るやうな事があれば、妾は屹度貴方を殺さずには置きませんよ、と常に云つてゐた」が、いざとなつたら他愛もなく此方を棄てゝ行つた」というそんな女のことである。牧野信一『陰ひなた』にも似たような箇所がある。

自分は、莚の上にどつかりと膝を組んで、たゞぼんやりしてゐた。――チクリとしたので手の甲を見ると蚊がとまつてゐた。私は、下唇を噛んで徐ろに片方の手の平をひろげて打ち降さうとした時、ふと、静かに、だんだん腹のふくれて行くところを見てゐたい気がして、その儘凝つと、専念に蚊のいとなみを視詰めた。」――。
牧野信一『陰ひなた』

得てして、作家というのは、同じような話を書くものである。(リンク張る 漱石三角関係 太宰 灯台守の噺 遠藤 九官鳥)
蚊に刺されたときにどんな対応をする人物が小説中では描かれているのか。引き続き例を挙げます。

 夏の暑い日になまけものがひるねをしておりますと、蚤と蚊が代る代るやって来て刺したり食いついたりしました。なまけ者は怒りだして、
「折角ひとが寝ているのに何だっていたずらをするのだ」
 と叱りつけました。
 蚤と蚊とは声をそろえて答えました。
「私たちはあなたのように寝ころんでいるなまけものがすきなのです。私たちに好かれないようになりたいならば、起き上ってセッセとお働きなさい」
夢野久作『蚤と蚊』

私、今、チクリとしました。気にするものかは。

小説中の人物ではないが、正岡子規が蚊に刺されて「刺客蚊公之墓碑銘 柩に収めて東都の俳人に送る」を書いたことも付記しておく。封筒を柩に見立てたのであろう。蚊が同封された封筒を受け取った人は災難である。


寺田寅彦は蚊に刺されても何のその。

 人のいやがる蚊も自分にはあまり苦にならない。中学時代にひと夏裏の離れ屋の椅子に腰かけて読書にふけり両足を言葉どおりにすきまなく蚊に食わせてから以来蚊の毒に免疫となったせいか、涼み台で手足を少しぐらい食われてもほとんど無感覚である。蚊のいない夏は山葵(わさび)のつかない鯛の刺身のようなものかもしれない。寺田寅彦『忘備録』「夏」

感覚が慣れるというのは、良いことでもあり、淋しいことでもある。私は、死ぬまで、繊細な感覚を持っていたいと思うけれど、蚊のかゆみに対しては、例外である。加能作次郎『恭三の父』中に「昼はもとより夜も暑いのと蚊が多いのとで、 予 ( かね ) て計画して居た勉強などは少しも出来ない。」とあるが、大抵の人はそうだろう。寺田先生、達観していると感じる文章を引用しておく。

 田舎の生活を避けたい第一の理由は、田舎の人のあまりに親切な事である。人のする事を冷淡に見放しておいてくれない事である。たとえば雨のふる日に傘をささないで往来を歩きたいと思ったとしても、なかなかそうはさせてくれない。鼻の先に止まった蚊をそっとしておきたいと思っても、それは一通りの申し訳では許されない。
寺田寅彦『田園雑感』

寺田寅彦は、そうはいっても、蚊を追うことはしたらしい。

夏休みに帰省している間は毎晩のように座敷の縁側に腰をかけて、蒸し暑い夕なぎの夜の茂みから襲ってくる蚊を 団扇 ( うちわ ) で追いながら、両親を相手にいろいろの話をした。
寺田寅彦『庭の追憶』

次に、井伏鱒二のお師匠様の文章から。

石の冷たい河原で寝ることは好いとしてちよつと休んでゐてさへ、沢山の蚊がぶんぶんやつて来る程だからとても寝ることは駄目です。で、/「駄目、駄目、こんな所に一時間もゐやうものなら、それこそ、蚊に喰い殺されるんだ、出発、出発、」/と云ふ調子で出発したんです。
田中貢太郎『提燈』

出発しなければ、蚊に対して「ほとんど無感覚」になれたのに、残念である。それに、泉鏡花『女客』には、「まさか、蚊に喰殺されたという話もない。」とある。蚊くらいのことで、「蚊に喰い殺されるんだ、出発、出発、」とはまた、情けない。・・・人のことだから、何とでもいいます。
蚊に沢山かまれると、無感覚になる傾向を持つ人は、確かにいるらしい。
徳田秋声『黴』から引用する。

 

お銀は黒い壁にくっついている蚊を、ぴたぴた叩きはじめた。
「よくあなたは、こんな蚊が気にならないんですね。」
「僕は蚊帳なしに、夏を送ったことがあるからね。」笹村は頭の萎えたような時に呑む鉄剤をやった後なので、脂のにじみ出たような顔に血の色が出ていた。ランプの灯に、目がちかちかするくらい頭も興奮していた。  
徳田秋声『黴』

漱石の作品だったと記憶しているが、坊主が蚊を殺さないのも何とか、といった文があったように記憶する。漱石と書いたついでに書くと、三四郎が汽車の女と同じ蚊帳に入ったのは、蚊に耐え切れなかったからであった。
こんな話もあった。女が蚊帳の中の蚊を、線香で焼く。女の白い顔が線香の光で浮かび上がる。たそがれ時で、家の中はもう暗い。
長くなったのでそろそろやめる。




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