落語に登場する思いつめる若人

      2017/04/18

落語に登場する思いつめる若人




 何も、悩んだ末、華厳滝に飛び込んだりして、自らの命を絶つ若人について書こうというのではない。もっと、ごく色っぽいことを中心に書く。

 三代目古今亭志ん朝演ずるところの「代脈」に小僧が出てくる。その小僧は小さい頃は目から鼻に抜ける才子だったんだが、どういうわけか色気と、食い気のほうにばかり気がいってしまい、昔の才気はどこへやら。

 床に臥せる若人が、よく落語なんかに出てくる。落語だけあって、肺結核で、なんて深刻な手合いはないと言っていい。思いわずらうのである。何を?異性か、食べ物。ただ、「代脈」の小僧と違って、ごく内気で真面目なのが、病になる。

 思いわずらって、床に就き、医者に見せるが、どこといって悪いというところはない。医者は、これは気の病だと言って、あの患者が気にかかることをききだし、それをかなえてやったらよくなるだろうと言って帰る。

 誰かを恋して、体を悪くする初心な男が出てくるものといえば、「崇徳院」、「紺屋高尾」、「幾代餅」があげられる。若くて、世間知らずで、見目良い男が患うから様になる。男はつらいよの寅さんはその真逆。その辺が、おかしみを誘うんだろう。え?あの男が恋わずらい?と、意外な感に打たれるのは、水滸伝に出てくる豪傑、没羽箭張清もそうである。銭形平次の銭投げのモデルとなった勇ましい男で。ただ、こちらは、見目良い男としてあるので、寅さんのような滑稽味はない。張清がふせったとき、神医安道全は、気にかかることがあるのだと、見抜いて、心を打ち明けさせた。神医ともなれば、治すためにはなんでもするらしい。室生犀星や、太宰治が書いてるように、人の恋話をきいても、面白くない。


 お嬢さんが、恋わずらいをすることもある。例としては、「崇徳院」「お若伊之助」があげられる。乳母がいれば、思いわずらうというところまでいかない例もみられる。女というのは元来しゃべりだとされておるから、気になることがあればペラペラ身近な人には胸中を打ち明けるのかもしれない。物わかりの良すぎる乳母というのも考えもので、せっかくの箱入り娘に虫をつける手引きをするようになる。「刀屋」なんぞがその例であろう。もっとも、どんなに乳母が協力的でも、いかんともしがたい例もある。三代目桂米朝が「崇徳院」の枕で紹介している話だが、お嬢さんが、恋患いをしているのみかねて、相手は誰?と聞きだすと、誰でも・・・。こんな嬢様なんぞは、どうしようもない。親が、適当に、これといったものを見たてるさ。

 食い意地が張っているがために、床に就く例としては、「千両みかん」を挙げることができる。若旦那の心のうちを探るのは、若旦那とは気心の知れた仲の男。この点では、「崇徳院」と似ている。で、「千両みかん」では、何を思って患っているのかと聞き出してみたところ、若旦那いわく、みかんを食べたい。頃は夏。私なら、張り倒す。

 そういえば、落語ではないが、ヒアシンスに縁のあるナルキッソスも、恋患いをしたといってもよいだろうよ。こちらも、よそからは、なんの手助けもできない。しかし、よくよく考えてみたら、「松山鏡」のように、鏡を彼に与えたらよかったのかもしれぬ。



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