バッタ

      2017/04/05

バッタ

バッタといえば、旧約聖書「出エジプト記」や、パール・バック『大地』を思い浮かべる方も多いだろう。
ここでは、バッタが日本近代文学作品の中でどう使われているのかみていきたい。その前に、枕代わりに、古今亭志ん生「疝気の虫」の枕を『古典落語 志ん生集』(筑摩書房1989年9月26日 第一刷発行)から引用する。

「飛蝗なんてのァかわいらしいですよ、ひょッと摑まえて顔を見てご覧なさい、馬の孫みたいな顔をしてますな。」
古今亭志ん生「疝気の虫」『古典落語 志ん生集』(筑摩書房1989年9月26日 第一刷発行)

本題に入る。土田耕平『バッタ』より引用する。

バッタ殿とんだ
天をめがけてとんだ

バッタ殿とまつた
竿竹へとまつた

竿竹や高い
天はもつと高い

そこでバッタ殿
いま一飛び

竿竹蹴つて
天までとんだ
土田耕平『バッタ』

次に、高村光雲、光太郎父子の文章を挙げる。

夏向きになって来ると、種々(いろいろ)な虫の形を土で拵(こしら)えて足は針金で羽根は寒冷紗(かんれいしゃ)または適当な物で造り、色は虫その物によって彩色を施し、一見実物に見えるよう拵えるのです。その種類は蜂(はち)、蝉(せみ)、鈴虫(すずむし)、きりぎりす、赤蜻蛉(あかとんぼ)、蝶々(ちょうちょう)、バッタなどですが、ちょっと見ると、今にも這(は)い出したり、羽根をひろげて飛び出そうというように見えます。
「どうだ。本当の赤蜻蛉に見えるだろう。このバッタはどうだ。この脚の張り工合が趣向なんだ」
などいって、障子(しょうじ)の桟(さん)へなど留まらせると、本当に、赤蜻蛉とバッタが陽気の加減で出て来ているように見える。
高村光雲『幕末維新懐古談 蘆の葉のおもちゃのはなし』

私は虫類に友人が甚だ多く、バッタ、コオロギ、トンボ、カマキリ、セミ、クモの類は親友の方であり、(中略)しかし彼(閑人(筆者)注 彼=カマキリ)は彫刻にはならない。形態が彫刻に向かない。バッタ、コオロギも其点では役に立たない。
高村光太郎『蝉の美と造型』

日常生活では、バッタがとんで初めて、その存在に気づくという場合が多いだろう。バッタも飛ぶものと、跳ぶものとでは、種類が異なる。次に挙げる用例では、「飛ぶ」となっている。飛ぶバッタとしては、例えば、トノサマバッタ、クルマバッタ、ショウリョウバッタなんぞを挙げることができよう。

又野が突然にアグラを掻いて、真剣な態度で三好の方向に向き直った。バッタが驚いて二三匹草の中から飛上った。
夢野久作『オンチ』




夏になって、原っぱの草はそこを通り抜けて近道をゆく人の腰から下をかくすくらいの高さに繁った。バッタ捕りの子供たちが一日じゅうその草の間をわけて走った。(中略)人がとおると、バッタが急に足元から飛び立ったりして、目をとめてみれば赤のまんまの花も咲いている。宮本百合子『朝の風』

突然、鳶色をした雀くらゐある大きなバッタが飛んで往つた。
室生犀星『はるあはれ』

床はそのままに、そっと抜け出して運動場へおりると、広い芝生(しばふ)は露を浴びて、素足につっかけた兵隊靴(へいたいぐつ)をぬらす。 ばったが驚いて飛び出す羽音も快い。
寺田寅彦『花物語』

間もなく来たから連れ立って裏門を出た。バッタが驚いて足下から飛び出した。
寺田寅彦『鴫つき』

ただし、飛び出す、という表現が使われている場合、飛び出したものが飛ぶとは限らないようである。「鋏の進んで行く先から無数の小さなばったやこおろぎが飛び出した。」(寺田寅彦『芝刈り』)とある。こおろぎは、飛びはしない。

晩秋になれば、バッタも元気を失う。アリとキリギリスのお話の昔から、そういうことになっている。

秋だった。晩秋であった。さながら丸みを帯びたような柔らかな日ざしが、さまざまに色を変えた山林にそそいでいた。すがれた下草では虫が鳴いていた。よろよろと生気のないバッタが道の上に這いだしてきたりした。

北杜夫『楡家の人々』

バッタの比喩表現を挙げていく。(米つきバッタを連想させるものは、省いている。)

山裾一面の森は森閑として、もう薄暗く、突き飛ばされる毎にバッタのように驚いてハードル跳びを続けて行く奇態な跛馬

牧野信一『ゼーロン』

 蘭塔場の中へ潜んでいたらしい別働隊の二三人、バッタのごとく飛出すと、
「え、しぶとい女だ、今度は命がねえぞ」

野村胡堂『銭形平次捕物控 幽霊にされた女』

 今は伝六とても何しにとやかくとむだ口たたいていられましょうぞ! まことにわれらの名人右門がひとたび出馬したとならば、かくのごとくに慧眼(けいがん)俊敏、たちまち第一のなぞがばらりと解きほぐされましたものでしたから、ふたりの配下は雀躍(じゃくやく)として、大小二つのバッタのごとく、そでに風をはらみながら飛びだしました。

佐々木味津三『右門捕物帖 へび使い小町』

かれはかれらしく早速みぶるいを一つやって、さて霜どきの蝗(バッタ)のように瘠せたからだを身構えることによって、己れの健康がどれほどもどうもなっていないのを喜ばしげに顔の上にあらわした。

室生犀星『しゃりこうべ』

 眼の前の海を、右から左までゆっくり眺め渡した彼は、視線を中央に戻した。そこには小さな貨物船が舫ってあり、正常な船の上側を匙ですくい取ったような形をしていた。そのすぐ傍に、さらに二まわりほど小さい貨物船があって、それは後肢をもぎ取られて地面に腹這っているバッタに似た形をしている。

吉行淳之介『砂の上の植物群』

次の例も、比喩表現の一形態であろう。

少し大きくなりまして十歳位にもなった時、私の体はとても痩せていましたので、友達などはよく牧野は西洋のハタットウだ、などとからかっていました。それは私の姿が何んとなく西洋人めいていて(今日でもそうらしいのです)、且つ痩せて手足が細長いというのでハタットウといったもんです。ハタットウとは、私の郷里でのバッタの方言です。こんな弱々しい体が年と共に段々と健康になり、ついに今日に及んでいます。

牧野富太郎『牧野富太郎自叙伝 第二部 混混録』

バッタが跳ぶ、という例を挙げきれていない。跳ぶバッタについても少しく書いておく。
跳ぶバッタで、一番身近なのは、オンブバッタであろう。

オンブバッタは、交尾以外の時でも、オスがメスの上にしがみつくことがままある。その様子から、オンブバッタという名がついたのだろう。
オンブバッタが、人間と大きく異なる点を一つ挙げるとすれば、どんなオスも、女房の尻にしかれていないということであろう。カマキリのオスは、メスから食べられる。ジョロウグモのオスも、そんなことがあるらしい。

閑人(筆者のこと)は思う。
カマキリやジョロウグモが、オンブバッタを食すのは、これは、食欲を満たすためではなくて、オンブバッタにあやかろうとしてるのではないかしら。ただし、オスに限る。


もしくは、カマキリやジョロウグモのオスのひねこびた、憂さ晴らしなのかもしれない。

先に室生犀星『しゃりこうべ』から引用した箇所をもう一度見ていただきたい。「蝗(バッタ)」としてあるのにお気づきなるだろう。蝗という漢字は、イナゴと読むこともある。このルビはだれが付したものか、閑人(筆者のこと)は知らない。犀星か、出版社だろう。このルビを振った人物は、蝗は、バッタともイナゴとも読めることをしっていたはずである。ルビをふった人は、漱石『坊っちゃん』の以下引用した箇所を読んでどう思ったのだろう。「バッタもイナゴも同じもんだ」というところ、普通は、メチャクチャをいう「坊っちゃん」の江戸っ子気質にクスリとするところだが、「坊っちゃん」の博学に妙に感心していたりするのかもしれない。

おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま腕(うで)まくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先(まっさき)の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎(あいにく)掃き出してしまって一匹(ぴき)も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜(はきだめ)へ棄(す)ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳(か)け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載(の)せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿(ばか)だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣(や)り込(こ)めた。「篦棒(べらぼう)め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕(つら)まえてなもした何だ。菜飯(なめし)は田楽(でんがく)の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。
「イナゴでもバッタでも、何でおれの床の中へ入れたんだ。おれがいつ、バッタを入れてくれと頼(たの)んだ」
漱石『坊っちゃん』




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