夏目漱石『吾輩は猫である』と落語―吾妻橋を視座にして

   





夏目漱石『吾輩は猫である』と落語―吾妻橋を視座にして

 漱石「猫」に落語の影響がみられることは夙に指摘されている。漱石と落語については、私の先輩筋にあたる方が、お書きになっているようで、そちらを見ていただくと、こんなものを読むよりもよっぽどためになるのだろうが、論文というものは、それは、読むには骨が折れるもの、というのが通説になっておる。(断っておくが、私はそんなことは思わない。そんなことを言う人の気が知れない。私は、なるべくなら敵は作りたくないのである。ばれない嘘なら、つくが上策。)だから、こんな駄文を草することも無駄ではあるまい。
 私はもちろん、私の先輩にあたる方がお書きになったものは、読んでいる。ただ、読んだ記憶はあっても、内容までは記憶しておらん。まだ、落語に親しんでおらず、したがって、どんなに落語の演目を並べられても、よくわからなかったのだから、仕方がない。論文を読み終わって、私が得た感想は、「ああ、文学研究をしようというのなら、落語位は知っておいたがよいのではないかなあ」という程度のもので。今考えると、それから落語をかじったところで、所詮、落語に一通り親しむ頃は、落語を切り口とした研究は、しつくされているであろうということが、わかりそうなものであったが、閑人(筆者のこと)は、いかんせん、若かった。がむしゃらなところがあった。普通なら、暇がないと親しまない落語を、寸暇を惜しんで「学習」した。歩きながら、電車で、あるいは、掃除をしながら、落語を「学んだ」。大真面目であった。あまり、速記本を読むことは、しなかった。噺をきいておかないと、落語の神髄には触れられないと独り決めして、高座の映像をみた。映像がない時には、YouTubeで音源をあさった。噺には、三四十分のものが多い。あの頃、くそ忙しいのに、一日三つずつ噺をきいていた。大真面目であった。救われない。
 
 人が娯楽で親しむものを、辛労辛苦、「学習」した結果得た私独自のもの。曰く、井伏鱒二『山椒魚』の冒頭部と、志ん生の「雪とん」の枕に類似点がある!これだけじゃあ、論文にも、何にもなりゃしない。もしかしたら、以下述べることも、論文にゃならんが、私独自の見解かもしれない。憂さ晴らしに、紹介しておこう。先輩筋にあたる方のご論文を探して再読するのが手間だし、すでに指摘してあると知ったら、嫌になるから、読まずに、「私独自の見解かもしれない」という一縷の希望を残したまま、この記事を書いていく。

 黄金餅や、花色木綿の影響が、それぞれ、寒月がバイオリンを買う話をするところ、唐津の多々良三平からもらったやまいもを泥棒に取られるところに見られるという方がいらっしゃるようである。「猫」に、落語の影響があるとされているから言えることなのかもしれないが、寒月が、身投げをする場面も、存外落語の影響をうけているのではないだろうか。
 
 菊池寛『身投げ救助業』によれば、京都の疎水は、自殺するのによく使われたようである。いわば、自殺の名所といってよいだろう。東京にも、あまた自殺の名所があるだろうが、落語の世界では、川で溺死を望むものは、どういうわけか大抵、吾妻橋から身を投げることになっている。隅田川は、深そうだし、橋も何本もかかっていたであろうし、何も、身を投げるのに吾妻橋を選らなくてもよさそうなものである。「文七元結」や、「唐茄子屋政談」、「星の屋」、「辰巳の辻占」なんかは、吉原の近くの橋ということで、吾妻橋ではないといけないというのもうなずけないではないが(言問橋が架橋されている時代にできた噺なら、言問橋でもよかないかという気もする)、「佃祭り」なんぞで身投げをする場所を吾妻橋にする必然性はないだろう。ただ例外は「身投げ屋」で、これは、両国橋から飛び込もうとするということになっているが、新しい噺だから、漱石は、きいていないという説明ができるといえばできる。「もう半分」では、永代橋から身投げをすることになっている。噺の成立年月日を調べてみなければならない。「もう半分」のことをもちだして、分が悪くなったので、円生が、落語の世界では、「心中の本場が向島、身投げをするのが吾妻橋、犬に食いつかれるのが谷中の天王寺」となっていると言っていたという情報を付記しておく。

 こう見てくると、寒月が、吾妻橋の欄干に足をかけ、欄干から飛び込んだというのも、落語の影響だろうということができよう。ついでに言えば、寒月が、実際に川に飛び込まないという点も、落語の影響があるとする説の補強になるだろう。(どちらの、新説も、「もう半分」の成立年が「猫」よりも後であったらという前提がないとなりたたないのは言うまでもない。)

 これも寒月に関する箇所、鼻子にこれは本当の噺だとあのうそつきの爺やが申しましたという葉書を見せる所、志ん朝が、これは、私の意見じゃないので、本当ですよ、というのと、似通っているといえば似通っている。ただ、そんな物言いをした咄家が、漱石が生きた時代にいたのかどうか。



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