恋の気配―映画「おしゃれ泥棒」とダザイ

      2017/04/04

 



ウィリアム・ワイラー監督「おしゃれ泥棒」は、とっても面白いものですね。オードリー・ヘップバーンが、おしゃれで、かわいらしくて、よろしい。

 ここで注目したいのは、ニコル・ボネを演じるオードリーと、シモン・デルモットを演じるピーター・オトゥールとが、美術館の用具箱の一室に閉じ込められるシーン。ここで、二人は、熱き接吻をかわします。そのあとの、ボネの台詞が、いいね。なんだか広々した感じになったわ、というようなことを言う。狭い用具室で、ボネが両手いっぱい広げるものだから、デルモットは当惑顔。

太宰をかじったことがある人ならば、そう、『葉桜と魔笛』と『斜陽』のある部分を思い出しますね!?

 『葉桜と魔笛』では、姉が病身の美しい妹の箪笥を整理しているとき、「一束の手紙が、緑のリボンできっちり結ばれて隠されて在るの」を見つける。「いけないこと」とは知りつつも、見つけた手紙を読み、それが男性からの手紙であることに気づく。男性と文通をしていることが「あの厳格な父に知れたら、どんなことになるだろう、と身震いするほどおそろしく」と親の目を意識するものの、妹の恋愛をほほえましいものとして、楽しんでいる。

けれども、一通ずつ日附にしたがって読んでゆくにつれて、私まで、なんだか楽しく浮き浮きして来て、ときどきは、あまりの他愛なさに、ひとりでくすくす笑ってしまって、おしまいには自分自身にさえ、広い大きな世界がひらけて来るような気がいたしました。太宰治『葉桜と魔笛』

 妹の手紙を読みすすめることによって姉自身にも華やいだ気持ちが生じているのである。これは、妹の恋愛が、肉を伴わない他愛のないものでしかないと、姉が思っている段階のお話。妹の恋愛が淡雪のような、清くはかないものではないと知れば、姉は、半狂乱になる。
 世間一般の、母親が娘の恋愛を知るときも、『葉桜と魔笛』の姉と似た心理の過程をとるのだろうよ。


 『斜陽』でも、空間の広がりを感じる人物が描かれている。上原とかず子が初めて会って、地下の酒場で二人酒を飲む。上原が先に、続いてかず子が酒場を出る。階段をあがっていると、ふいと上原が振り向いて、かず子にキスをする。それから、すぐ、上原の拾ってくれたタクシーでかず子は帰路につく。「車にゆられながら、私は世間が急に海のようにひろくなったような気持がした」んだそうな。かず子は、上原に恋心をいだくようになる。

 かず子さん、六年ぶりに上原に会いに行ったとき、上原の容貌が変わってしまっていたことに、びっくりする。裏を返せば、六年前の上原の顔を、かず子がしっかり覚えたことになる。存外、一目ぼれっていうやつかもしれませんぞ。

 世界が広がると感じるのは、三作品とも女性です。女性は、恋の気配で、世界が広がったように感じるものなのかしら。
 ただし、これらの作品を作ったのは、男性なのですな。相手の心を探るということは、自分の心を探ることで、初めてできる。男性も、恋の気配で、世界が広がったように感じるものなのかもしれない。

 恋の始まりには、空間が広がったように感じるかもしれない。けれど、ね、その恋が、淡ものではなくなっていき、だんだん深みにはまっていけば、世間というものは、急に狭くなるものですぞ。

 あぶないあぶない。君子は危うきに近づかず。仇敵のごとく、異性には接するがよろしい。また曰く、汝の敵を愛せよ。とかく、世の中は、ややこしい。



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