数の子

      2017/03/27

数の子

数の子はニシンの卵である。今や、数の子は高価であるが、以前はそんなことはなかった。坂口安吾『明治開化 安吾捕物 その八 時計館の秘密』に「この戦争中、雑炊食堂に行列していた片手のない男が、オレはむかし深川貧民窟のアサリ売りだが、日本人の最低生活てえものは、朝はニマメにツクダニにミソ汁、午(ひる)は干物、夜はカズノコに一杯ぐらいできたもんだ。そのニマメもツタダニも干物もカズノコも、米もありやしねえじゃないかとタンカをきっていたのを見たが、なるほど戦争中の日本人の半分は貧民窟以下の食生活を経験したようである。」とある通りである。食通で知られた北大路魯山人は、『数の子は音を食うもの』に「数の子を歯の上に載せてパチパチプツプツと噛む、あの音の響きがよい。もし数の子からこの音の響きを取り除けたら、到底あの美味はなかろう。」と書いている。

魯山人は、「正月でなくても、好物として、ふだんでもよろこんで食っている」(北大路魯山人『数の子は音を食うもの』)そうであるが、日本近代文学作品では、数の子は正月に食されるものとして描かれている。しばらく、閑人が信用できない人のために、そう断言した根拠となった箇所を挙げておく。

 友人鵜照(うてる)君、明けて五十二歳、職業は科学的小説家、持病は胃潰瘍(いかいよう)である。
 彼は子供の時分から「新年」というものに対する恐怖に似たあるものを懐(いだ)いていた。新年になると着なれぬ硬直な羽織はかまを着せられて親類縁者を歴訪させられ、そして彼には全く意味の分らない祝詞(しゅくし)の文句をくり返し暗誦させられた事も一つの原因であるらしい。そして飲みたくない酒を嘗(な)めさせられ、食いたくない雑煮(ぞうに)や数の子を無理強(むりじ)いに食わせられる事に対する恐怖の念をだんだんに蓄積して来たものであるらしい。
寺田寅彦『年賀状』

「なに、もういいのです。津田ドクトルのお見立てでは、Pest の疑いがあり、絶望を宣告されたのですが、非常な誤診でした。お正月に数の子を食べすぎただけなんです。日本は、どうも、お正月にはかえって数の子だの豆だの、わざと粗末なたべものばかりで祝うのですからね、痛快な国ですよ。」
太宰治『惜別』

台所にナマコの置いてあるのが眼についた。初乃は、皆んなが先刻から数の子ばかりを酒の肴にしていたのをちらと想い出したので、ナマコの三杯酢をこしらえたら喜ぶだろうと思った。
織田作之助『俗臭』
*正月元旦が描かれている箇所




正月にそなへる餅も喰ふ餅もみな盆餅(ボンベイ)と呼ぶぞおかしき
 数の子あり、煮豆あり、カマボコあり、本邦の正月に毫も異なることなし。
井上円了『西航日録』

到頭、お種は豊世と二人で、伊東に年をとった。温泉宿の二階で、林の家族と一緒に、ごまめ、数の子、乾栗(かちぐり)、それから膳(ぜん)に上る数々のもので、屠蘇(とそ)を祝った。年越の晩には、女髪結が遅く部屋々々を廻った。島崎藤村『家』

かねて日本びいきでいられる殿下には、歯固めの古式による御雑煮、数の子、ごまめ等を殊のほか御賞美になり御機嫌麗わしく外務次官以下の年賀を受けさせられた。
久生十蘭『魔都』

井上円了は、正月に数の子を食す理由について書いている。今現在も、正月に数の子を食す意味合いは変わっていないといえるだろう。
正月の御祝い物は、みな縁起の迷信が土台となっておる。例えば、餅(もち)は金持ちになるを祝し、数の子は子供の多くなるを祝し、昆布は子の産まるを祝し、豆は人のマメヤカすなわち健全を祝する縁起と申しておる。
井上円了『迷信と宗教』

井上円了は『妖怪学』でも同様のことを書いている。

数の子は、正月に供されるものであるがゆえに数の子は、年末に出回り、また、食べられるよう調理されるのである。以下しばらく、年末の数の子が描かれている例。

年の暮れももう近寄って来た。西風が毎日のように関東平野の小さな町に吹きあれた。乾物屋(かんぶつや)の店には数の子が山のように積まれ、肴屋(さかなや)には鮭が板台(はんだい)の上にいくつとなく並べられた。旧暦(きゅうれき)で正月をするのがこの近在の習慣なので、町はいつもに変わらずしんとして、赤い腰巻をした田舎娘も見えなかった。郡役所と警察署と小学校とそれにおもだった富豪(かねもち)などの注連飾(しめかざ)りがただ目に立った。 田山花袋『田舎教師』

明日(あす)は早くに妹(いもと)共の誰(た)れなりとも、一人は必らず手伝はすると言ふて下され、さてさて御苦労と蝋燭代(ろうそくだい)などを遣(や)りて、やれ忙がしや誰れぞ暇な身躰(からだ)を片身かりたき物、お峯小松菜はゆでて置いたか、数の子は洗つたか、大旦那はお帰りに成つたか、若旦那はと、これは小声に、まだと聞いて額に皺(しは)を寄せぬ。
樋口一葉『大つごもり』

あまりと言えば、あまりの歯の浮くような見え透いたお世辞ゆえ、客はたすからぬ気持で、
「わかった、わかった。めでたいよ。ところで何か食うものはないか。」と、にがにがしげに言い放った。
「おや、まあ、」と婆は、大袈裟にのけぞって驚き、「どうかと心配して居(お)りましたのに、卵はお気に召したと見え、残らずおあがりになってしまった。すいなお方は、これだから好きさ。たべものにあきたお旦那には、こんなものが、ずいぶん珍らしいと見える。さ、それでは、こんど何を差し上げましょうか。数の子など、いかが?」これも、手数がかからなくていい。
「数の子か。」客は悲痛な顔をした。
「あら、だって、お産にちなんで数の子ですよ。ねえ、つぼみさん。縁起ものですものねえ。ちょっと洒落た趣向じゃありませんか。お旦那は、そんな酔興なお料理が、いちばん好きだってさ。」と言い捨てて、素早く立ち去る。
太宰治『新釈諸国噺』

この箇所、数の子が安い時代もあったことを知らなければ、少々読み方が変わってくるはずである。

最後に、閑人(筆者のこと)が大いに勇気づけられた文章をひいてこの記事を終える。

「みなさん、あの何万粒の数の子の中から孵って鰊になるのは、ほんの二、三匹に過ぎないということを聴いて驚かれるかも知れません。自然は何という無駄をさせるだろうと。しかし、それは人間の頭の考えであります。自然にしたらば、はじめからその何万粒の無駄を承知で、その中のいくらかの鰊の生を世に送るのであります。もし何万粒の無駄がなかったら、そのいくらかの鰊の生もないのであります。
 従って自然においては、いくらかの鰊の生のために他の何万粒の犠牲は無駄どころか当然なかるべからざる用意なのであります。故に、自然は、その何万粒のどれにも厚薄のない同等の念を入れて世に送るのであります。それを無駄と考えるのは人間の頭であります。ここに自然の考えと、人間の考えとのスケールの大きさが違うのであります」
 もう青年は、これ以上聴く必要はありませんでした。無駄をしまいしまいという考えは却って無駄をすることになるのだ。それはちょうど生きるだけの鰊の数しか数の子の粒を用意しないようなものだ。孵らないにきまっている。その中に無駄のあることを予想してかかる仕事こそ、却ってその無駄を意義あらしめる結果になるのだ。自然が何万粒の数の子を、いくらかの鰊として予算するようなものだ。そう考え付いた青年は、腕組みして、強い息を吐きながら、折りしも点(つ)きかけた町のネオンサインの旋廻を眺めながら言いました。
「僕も、無駄を平気でやれるような人間になろう」
岡本かの子『仏教人生読本』

付記 以下の2例も、あわせて読まれたい。

村井弦斎『食道楽』に「○数の子は蛋白質弐割、脂肪一分あり。これも不消化なり。/○醤油の外に溜りと称するものあり。名古屋辺または京坂地方にて料理に用ゆ。大豆のみにて製したればその味濃厚にて刺身照焼煮物等によし。殊に数の子を漬けるに妙なり。上等の品は醤油の上等よりも価高し。尾州産および三州田原の産を有名とす。」とある。

いいかげん煮熟すると螺旋圧搾器にかけて油をしぼり、鰊粕をとる。その他数の子の製造、白子の乾燥、等々。――漁舎のなかは戦場のような興奮と喧噪のうずまきだった。生臭い魚の血のにおいと腐敗臭が、漁舎ばかりではなく浜全体にびまんして、慣れない百姓や子供のなかには吐気をもよおすものさえあった。
島木健作『鰊漁場』




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