タンポポの綿毛

      2017/03/31

タンポポの綿毛

タンポポについてまとめたが、長くなったので、たんぽぽの種子の用例は別にまとめることにした。


タンポポを使った占いについて書いてある例をひく。

ある時は野へ出て蒲公英(たんぽぽ)の蕊(しべ)を吹きくらをした。花が散ってあとに残る、むく毛を束(つか)ねた様に透明な球をとってふっと吹く。残った種の数でうらないをする。思う事が成るかならぬかと云いながらクララが一吹きふくと種の数が一つ足りないので思う事が成らぬと云う辻(つじ)うらであった。するとクララは急に元気がなくなって俯向(うつむ)いてしまった。何を思って吹いたのかと尋ねたら何でもいいと何時になく邪慳(じゃけん)な返事をした。その日は碌々(ろくろく)口もきかないで塞(ふさ)ぎ込んでいた。……春の野にありとあらゆる蒲公英をむしって息の続づかぬまで吹き飛ばしても思う様な辻占は出ぬ筈だとウィリアムは怒る如くに云う。
夏目漱石『幻影の盾』

わが友は自刄したり、彼の血に染みたる亡骸はその場所より靜かに釣臺に載せられて、彼の家へかへりぬ。附き添ふもの一兩名、痛ましき夕日のなかにわれらはただたんぽぽの穗の毛を踏みゆきぬ、友、年十九、名は中島鎭夫。
北原白秋『思ひ出 抒情小曲集』

 

いつもきまつて、初夏の来るごとに柘榴の花は私の心をせきたてる。いやこれはひとり、柘榴の花のみにかぎつたことではない、自然の繊細な美しさ、例へば山の端に落ちかかる三日月のやうなもの、或は林の小径で拾つた小鳥の羽、或はまた風にあがつて青空の中に見失はれてゆく蒲公英(たんぽぽ)の綿毛、さういふ軽微な微妙なものも、また重々しい大輪の日まはりの花や、はじめにのべた柘榴の花の強烈な色彩と同じく、私の心を促して一つの方角に駆りたてるやうに思はれる。
三好達治『柘榴の花』

比喩表現を拾っておく。

 いつまでも私の心から消えないお母さん、私は東京で何かにありついたらお母さんに電報でも打ってよろこばせてやりたいと思った。――段々陽のさしそめて来る港町をつっきって汽車は山波の磯べづたいに走っている。私の思い出から、たんぽぽの綿毛のように色々なものが海の上に飛んで行った。海の上には別れたひとの大きな姿が虹のように浮んでいた。
林芙美子『放浪記』




全く私はどれ程の多くの思索の種子を寢床の闇の中でむざ/\と躪(にじ)り潰して了つたことか。勿論、私は思想家でも科學者でもないから、私のひよい/\と浮かんで來る思ひつきや斷片的な考へが皆優れたものだつたらうなどといふのではない。けれども初めは極く詰まらないものであつても、後の發展によつては、案外面白いものとなり得ることがあるのは、物質界でも精神界でも屡 見られるのだ。闇の中で私に慘殺された無數の思ひつき(それらは、高く風に飛ぶ無數の蒲公英の種子のやうに、闇の中に舞ひ散つて、再び歸つて來ない)の中には、さうした類のものだつて多少は交じつてゐたらうと考へるのは、自惚に過ぎるだらうか?
中島敦『かめれおん日記』

よく見ると、その向うの杉林の前には、数知れぬ蜻蛉の群が流れていた。たんぽぽの綿毛が飛んでいるようだった。
川端康成『雪国』

 細菌のところで検(ママ)微鏡の下にあらわれた細菌は、まるでタンポポのわた毛がとんだあとの短く細いしんのようなものね。
宮本百合子『獄中への手紙 一九四〇年(昭和十五年)』

ある晩春の真昼、横綱の方からこの渡しへ乗つて来たら、病舎の下の石垣に一ぱい蒲公英が叢つてゐた。もう花はなく、稽綿許りが切りに有耶無耶の風に吹かれて病院で捨てたらしい汚物と一しよにフワフワ夕日の水面に飛び散つてゐた。
正岡容『下町歳事記』

吾人は蒲公英のそれのやうに堅固な、軽い、巧緻で安全なパラシユート即ち飛行用器を何時、造るに成功するであらうか? 吾人は「水だま」の黄金の花粉を空間に射る物のやうな力強い弾機をば、花弁の絹のやうなあんなに繊弱な織物の中へ切り込む秘伝を何時になれば発見することか。
牧野信一『卓上演説』

 だが、そんなことはゆるされない。艇外へとびだしたとて、何のやくに立とうぞ。
 第六号艇のまわりには、僚艇(りょうてい)から放射する探照灯(たんしょうとう)が数十本、まぶしく集まっていた。その中には、空間漂流器を身体につけて、艇からばったのようにとびだす乗組員たちの姿もうつっていた。また、すでにその漂流器にすがって空間をただよっている乗組員たちの姿をとらえることもできた。それはどこかタンポポの種子(たね)ににていた。上に六枚羽根のプロペラがあり、それから長軸(ちょうじく)が下に出、そして種子の形をした耐圧空気室があった。人間はこのなかへ頭を突っ込んでいるが、だんだんと下から上へはいりこむと、しまいには全身をそのなかに入れることもできた。
海野十三『怪星ガン』

最後の二例は、空を漂う機械が、タンポポの綿毛に例えられている。
閑人は、キリギリスが、タンポポの種子を食べている写真を見たことがある。これぞ本当の蛇足。



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