フィラリア

      2017/06/14

フィラリア

昔々そのまた昔、生物なる教科を高校で学びし頃、「原虫」というものを習った。原虫には、定義があるようで、曰く、真核単細胞生物にして、運動能をもち、人体に害を与えるもの」。勿論、私の古い記憶から引き出した定義だから、鵜呑みにしてはならない。その原虫の例として、「フィラリア原虫」を教えられた。フィラリア原虫が体内に入り込むと、紆余曲折を経て、足や、陰嚢が膨れ上がり肥大化するそうな。北斎漫画に、自身の陰嚢を担いで歩く男の絵がある。フィラリアになった人物として著名なのが西郷隆盛で、彼は、その巨大な陰嚢を所有していたために、馬に乗れず、西南戦争の折には、首のない死体は、その大金玉ゆえ、この胴体は西郷のだよ、ということになった。首実検(?)をしたのは、大久保利通だと聞く。その金玉のために、名前が売れているのは、西郷と狸位なものであろう。西郷は、南西諸島に流刑となった折、フィラリアに罹患したという。フィラリアは、いわば、南九州を中心とした風土病であり、大金玉の持ち主は、少なからずいたはずである。なにも大金玉の持ち主だから西郷だと、確定するのは、よっぽどその金玉に親しんだ者でもない限り、難しかろうと思う。いくら大久保利通でも、西郷の金玉の形状を事細かに覚えていたかどうか。西郷は死んだと言い切れないところがあるのではないかしら。そんな気がした人々は、沢山いたようで、西南戦争の後の西郷隆盛に関する伝説は多い。芥川龍之介『西郷隆盛』のような作品が生まれたのは、そのような下地があったからであろう。フィラリアは蚊を媒介して、感染したらしい。(蚊についてまとめた記事があるので、そちらもご一読願います。)

現在も、フィラリア原虫は、いるそうだが、人間に寄生する種類は撲滅されたらしい。その代り、犬に感染する種類はまだご健在だそうで。犬に感染したフィラリアが人間にうつることはありうるのか。どうやら、ほぼ無いというのが定説らしい。

オペレッタ『こうもり』のアデーレが小間使いとして雇われている家を抜け出し、パーティに行くため、叔母さまがフィラリアにかかったのであります。と女主人ロザリンデに告げる場面が上演によっては、ある。ロザリンデは、嘘と見抜いたようで、ああ、確かにあなたの叔母様は犬好きだものねえ、といなす。嘘と見抜いた理由は、会話だけからは、はっきりとはわからないが、コウモリが書かれた当時、犬から人間にフィラリアが感染することはないというのが通説になっていたならば、その通説を女主人ロザリンデがしっていた可能性があると言うことも、ロザリンデがアデーレの嘘を見抜いた理由の一つの候補とすることができるのであろう。
 
 谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』に、犬がフィラリアに罹患したことが書かれている。ささきふさ『おばあさん』にも、フィラリアに罹患した犬が描かれている。それぞれ引用して、このコラムを終える。

今度ハ颯子ガ正体ヲ現ワシテボルゾイノ代リニグレイハウンドヲ飼ッテ見タイト自分カラ云イ出シ、犬屋ニ注文シ捜シテ来サセタ。彼女ハソノ犬ヲクーパート名付ケテ寵愛スルコト一方ナラズ、野村ニ運転サセテクーパート相乗リデ街ヲ乗リ廻シタリ、ソコラヲ曳ッ張ッテ歩イタリシタノデ、若奥様ハ経助坊チャンヨリクーパーノ方ヲオ可愛ガリニナルナンテ云ワレタモノダガ、ソノグレイハウンドハ老犬ヲ掴マサレタモノラシク、間モナクフィラリアデ水ガ溜ッテ死ンダ。
谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』

石段の下に寢そべつてゐたクロは氣配に勘付くと、むくむくした胴體を破れた毬のやうに彈ませ、とたんにゲーゲーといつもの咳になつてしまつた。もう十四年も私達と生活を共にしてゐる彼は、そのうちの十年間胸にフィラリアを飼つてゐるわけなのである。目が醒めればゲーゲー云ふ。うれしいことがあつてもゲーゲーが始まる。何か食べたいとか、玄關に入れてくれとか、夜中に用を足しに出たいとか、さういつた要求の表現もゲーゲーなのである。ごく稀にワンと聞えると、
 ――あら、クロがワンて云つてるわ。
 ――なまいきに。
 私達は目を見張つて、そして笑ひ出すのである。
ささきふさ『おばあさん』




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