方言を話すということ―織田作之助作品中の場合

   

方言を話すということ―織田作之助作品中の場合

よく、転勤になったら、そこの土地の言葉を話すようになるサラリーマンがいる。彼らなりの論理というものがあって、その土地の言葉を話したほうが、お客様との距離が近くなり、お客様の心に自分たちの言葉がより深く突き刺さるそうな。まあ、お客によっては、そんなこともあろう。
 関西を主な舞台とする織田作之助の作品中でも、似たような傾向が見受けられる。すなわち、標準語は相手と距離を持ちたいときに話すこと、また、大阪出身の者同士で大阪弁を話すと、相手との距離がせばまることが確認できる。

織田作之助『青春の逆説』には、大阪弁は次のように描かれている。

「君一人のためにクラス全体が悪くなる」とわざと標準語で言った。豹一は、
「そら、いま教師の言ったことや。君に聴かせてもらわんでもええ。それに心配せんでもええ。君みたいな模範生がいたら、めったにクラスは悪ならん」
 沼井はぞろぞろとクラスの者が集って来たのに力を得たのか、
「教室でものを食べるのは悪いことだよ、君」と言った。またしても標準語だった。

織田作之助『青春の逆説』

「強情ね、あんたは。一体何の用なの」
「用はない言うてまっしゃろ。分らん人やな、あんたは……」大阪弁が出たので、少し和かになって来た。紀代子はちらと微笑し、
「用もないのに尾行るのん不良やわ。もう尾行んときね。学校どこ?」大阪弁だった。
「帽子見れば分りまっしゃろ」  

織田作之助『青春の逆説』

「はあ、五時に交替ですねん」
「そんなら、五時半頃来られまっしゃろ?」
 次郎の大阪弁が君枝の固い心をいくらかほぐした。
「そら、行かれんことあれしめへんけど……」 

織田作之助『わが町』

『夫婦善哉』は、妻帯者の維康柳吉と、芸者の蝶子が、人生という波に翻弄されながらも、なんやかんやで、まあ、仲良くやっていくというそんなお話である。

柳吉の前妻との間になした娘は、柳吉に向かって標準語を話す。或いは、蝶子の前だからかもしれない。大阪弁を使わないことは、重要であろう。また、わざわざ、標準語で、と断ってあるところに織田作の大阪弁というものへのこだわりが感じられる。



 - その他