太宰治『斜陽』雑感―「ケチ」という切り口から

      2017/04/04




 『斜陽』において、直治が叔父を評している唯一の発言「姉と弟でも、ママとあいつとではまるで、雲泥のちがひなんだからなあ、いやになるよ」から、彼が母と叔父とを対極的な存在ととらえている様子がうかがえる。

 自身の母に対して「ママ! 僕を叱つて下さい!」と発言する直治が、叔父から説教をされることについては「ケチなやつからお説教されて、眼がさめたなんて者は、古今東西にわたつて一人もあつた例が無えんだ。」と言う。直治が母と叔父とを対極的に捉えているという指摘を裏付けできる箇所である。

 叔父が援助をする際には、自身の家庭の経済とかず子一家の経済との間に線引きをしている。かず子は自身の母のことを「ケチケチして、私たちを叱つて、さうして、こつそりご自分だけのお金をふやす事を工夫なさるやうなお方」とは、見なしえないという。このかず子の母に対する評を裏返すと、直治の叔父の見方に近いものとなるだろう。直治が叔父のことを「ケチなやつ」というのはおそらく、このような叔父の性質のことをいっているのであり、彼はその叔父の世話になるくらいなら、「いつそ乞食になつたはうがいい」とし、例え、援助をうけられることがあったとしても、叔父から金銭面の援助をうけようとは考えていない。

しかし、一方で伊豆に帰還した翌日、直治は「お母さまから、二千円もらつて東京へ出かけて行」っていた。母の世話になることについては、直治が抵抗をおぼえている様子はない。だからこそ、叔父の世話になることに対する反感がいっそう際立つのである。

 直治は、麻薬中毒になっていた時分、母だけでなく、かず子にもお金をねだっていた。実際のところはともかく、かず子が離縁をしたことにたいして、「責任みたいなもの」を直治は感じていた様子である。直治から見れば、かず子は立場を危うくしてまで直治に渡す金銭を、叱りもせず準備していたことになる。母も、直治のために物惜しみすることはなかった。直治からすれば、「ケチ」ではないという点で、母とかず子は重なることになる。

 『斜陽』でいうところの「ケチ」でない人物の系譜につながる存在としては、太宰治『饗応夫人』の「奥さま」を挙げることができるだろう。

 少し、性質を異にするものの、織田作之助『青春の逆接』の野崎も、『斜陽』でいうところの「ケチ」でない人物の系譜につながるといってよいのではないだろうか。なお、『青春の逆接』の定期のエピソードは『天衣無縫』にも、少々形を変えて、でてくる。



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