油虫が意味するもの―ゴキブリとアリマキ

      2017/03/27

油虫が意味するもの―ゴキブリとアリマキ

ゴキブリは、背が黒光りしているせいか、油虫ともいわれることがある。セイタカアワダチソウなんかにびっしりとこびりついている赤や、黒、緑の小さな虫、アリマキも、油虫と呼ばれることがある。小説内に「油虫」という字が出てきたら、読者は、それが、ゴキブリのことなのか、アリマキのことなのか判断をせまられる。判断を誤ると、妙な情景が読者の胸の内に広がることになる。

まずは、アリマキのことを油虫と表記している例。アリマキのことであると判断したのは、植物に「油虫」がくっついている様子が推測できる描写になっているからである。アリマキは、植物にたかり、植物の汁を吸う。




ただ悲しいことには、蓮の葉の裏面や柄に、油虫が沢山群っていた。鉢の上方に桃の一枝がさし出ていて、それから伝播したものらしい。私は惜し気もなくその桃の枝を切り去り、それから蓮の葉の油虫を鏖殺してやった。
豊島与志雄『蓮』


ハスは君子に例えられる。汚泥にまみれず、一人清く花を咲かすからである。君子にして富めるはまれなり。閑人(筆者のこと)は、君子なのかもしれない。アリマキは、お尻のあたりから甘い汁を出す。甘い汁を吸いたさに、アリは、テントウムシなど、アリマキの天敵を追い払う。アリマキとアリの関係性は、共生の例としてよくひかれる。

 

今年の夏になってからのことでした。私は庭のありを全滅してしまわなければならぬと考えました。日ごろから、ありは多くの虫のなかで、もっとも利口であり、また組織的な生活を営んでいる、感心な虫であることは、知っていましたが、木や、竹に、油虫をはこび、せっかく伸びた芽をいじけさせて、その上、根もとに巣をつくり、幹に穴などをあけるのでは、客観的にばかり、ながめてもいられなくなって、害虫として駆除しにかゝったのです。
小川未明『近頃感じたこと』

豊島与志雄『或る素描』には、「午後になると、彼は砂糖がまだ残ってるのを覗いてみて、更めて残酷な遊びを初めた。庭の隅の萩の若芽から油虫を取ってきて、それを蟻に与えた。」(豊島与志雄『或る素描』)とある。「彼」なる人物は、ミミズや毛虫等もアリに与え、「生きた虫類が蟻に取巻かれてのたうち廻ってる、その不気味な光景に夢中になって、夕方まで過」ごす。小川未明『近頃感じたこと』の記述が正しいならば、豊島与志雄『或る素描』の油虫、つまり、アリマキを与えられたアリは、アリマキの餌場まで、アリマキをご苦労千万にも運んでやるということになる。すると、少なくとも、油虫をアリに与える行為は、「残酷な遊び」(豊島与志雄『或る素描』)とは言い切れない部分もあるのではないだろうか。
断言はできないのだが、次の引用部の「油虫」は、アリマキを意味するのかもしれない。アリマキは、鼠算式に増える。大抵、コロニーを形成しているのである。

両国を立って、しばらくは、線路の両側にただ工場、また工場、かと思えばその間に貧しい小さい家が、油虫のように無数にかたまって建っている、と思うと、ぱらりと開けてわずかな緑地が見えてサラリイマンの住宅らしい赤瓦(あかがわら)の小さな屋根が、ちらりほらり見える。僕は、このごみっぽい郊外に住んでいる人たちの生活に就いて考えた。ああ、民衆の生活というものは、とても、なつかしくて、そうして悲しいものだ。
太宰治『正義と微笑』

一方で「ごみっぽい」ともあるので、この「油虫」がゴキブリを意味しているような気もする。「油虫のように無数にかたまって建っている」の「油虫のように」と「無数にかたまって建っている」の間が切れているとするかしないかで、油虫の正体がかわってくるのだろう。

油虫が、ゴキブリをさす例を挙げる。以下の引用部の「油虫」がアリマキでなく、ゴキブリのことだと判断した主な理由は、油虫なる存在が、台所など、室内にいるとしてあったためである。繰り返すが、アリマキは、植物の汁を吸って生きている。蛇足ながら、書いておくが、アリマキはせいぜい二三ミリの生物である。そう早くは動かない。「油虫」が大きかったり、素早く動くとしてある場合も、「油虫」=ゴキブリだと判断している。

おおそうか、お吉来たの、よく来た、まあそこらの塵埃(ごみ)のなさそうなところへ坐ってくれ、油虫が這(は)って行くから用心しな、野郎ばかりの家は不潔(きたない)のが粧飾(みえ)だから仕方がない、我(おれ)も汝(おまえ)のような好い嚊(かか)でも持ったら清潔(きれい)にしようよ、アハハハと笑えばお吉も笑いながら、そうしたらまた不潔不潔と厳しくお叱(いじ)めなさるか知れぬ、と互いに二ツ三ツ冗話(むだばな)しして    幸田露伴『五重塔』

 程よい富、程よい名望、三棟の土蔵へ通う屋根廊下には旧家らしい薄闇が漂っていた。桟窓からさし込む陽に飴色(あめいろ)の油虫が二三びき光った。岡本かの子『百喩経』




 油虫の多い炊事場は、二階階段の上(あが)り端(はな)に、便所と隣りあつてあるが、流しもとは狭くて水道栓は一つ、ガス焜炉は二つしかないので、支度時には混雑して、立つて空くのを待つてゐなければならない。
武田麟太郎『日本三文オペラ』

 

この生れた家は、私の記憶にして、誤り無くんば、三間あった。店と、次と、奥と――そして、道具として、長火鉢が一つあった。私が立てるか、立てぬかの時分、この長火鉢の抽出しを開けると、油虫が、うじゃうじゃと走り廻っていたのだ。
直木三十五『死までを語る』

 時に、障子を開けて、そこが何になってしまったか、浜か、山か、一里塚か、冥途(めいど)の路(みち)か。船虫が飛ぼうも、大きな油虫が駈(か)け出そうも料られない。廊下へ出るのは気がかりであったけれど、なおそれよりも恐ろしかったのは、その時まで自分が寝て居た蚊帳(かや)の内を窺(うかが)って見ることで。泉鏡花『悪獣篇』

鏡花の書いたものに理屈を言っても始まらないとはわかっておれど、書いておくが、フナ虫は、泳ぎはすれど、飛びはしない。

「おい、これをみろ。」
 わたしは壁を指さしました。
「油虫?」
 妻は眉をひそめます。
『團欒』

 ハワイでみたから、それが礼儀と心得たか、洋式トイレットの枠に、ピンクのタオルで出来たカバーをかぶせ、風呂がバススタイルではないからと心配し、油虫をまめに殺し、寝室を夫妻にあけ渡すことにして、こちら用のマットレス買いこみ、洋間にビニールの花飾りはまだしも、ハワイで写した自分と啓一の写真、それに結婚写真ひきのばして飾り、これはどうやらアメリカTVホームドラマにヒントを得たらしく、はじめは文句つけていた俊夫、こう一切合切京子がとりしきるならいっそ気楽、自分は高みの見物をきめこめばいいのだと、日一日と安手の模様替え進行するのを傍観。野坂昭如『アメリカひじき』

またひどいのになると、釜湯の上を油虫がぞろぞろはっているというような不潔さであります。その一例として著者は昨年の初夏の頃でありましたが、友人を上野駅に見送って帰途、山下のある蕎麦屋に入って、天ぷら蕎麦を注文して食べようとすると驚くではありませんか、その中にしかも立派な油虫が一疋存在ましましたのでした。こんな例は他にもよく聞くことでありますが、代りを食べる心地にもなれぬではありませんか。なぜ調理場に油虫の発生するような不潔なことをするかと思ったこともありました。
村井政善『蕎麦の味と食い方問題』

「島村抱月氏はよく欠伸(あくび)をするので友達仲間に聞えた男だ。会つて談話(はなし)をしてゐると、物の二分間も経たないうちに狗(いぬ)のやうにあんぐり口を開(あ)いて大きな欠伸をする」(薄田泣菫『茶話』大正五(一九一六)年)のが、ぴったりなおった。「何でも噂によると、須磨子が欠伸が嫌ひだから自然癖が直つたのだともいふが、事によるとさうかも知れない。一に武士道、二に小猫の尻つ尾、三に竈(へつゝひ)の油虫……すべて女の嫌ひなものは滅びてゆく世の中である。」(薄田泣菫『茶話』大正五(一九一六)年)としてある。「女の嫌ひなもの」としてあるから、「油虫」はゴキブリのことだと、おそらくは、考えてよいのだろう。
島村抱月と、松井須磨子は恋人関係であった。抱月先生の須磨子へあてた手紙が公開されている。まあちゃんへ、キッスキッス、と末尾に書いた手紙もあったと記憶する。講義中、学生の欠伸を見てげんなりする先生連は、なるたけつまらないことをしゃべって、学生を眠らせたらよい。学生は、黒い油虫の夢をみるとよい。井上円了『迷信と宗教』では、ロシアの迷信に「黒い油虫の夢を見たときは許嫁(いいなずけ)ができる。」というものがあると紹介されている。この迷信を閑人は、知らぬ。ロシア語も読めない。ゆえに、黒い油虫が、黒いアリマキなのか、黒いゴキブリなのかはわからない。じゃあどうすればよいのかときかれるか?困ることはない。学生に、黒いアリマキと、黒いゴキブリ両方が登場する夢を見させさえすればよいのである。抱月が須磨子を得て、欠伸がやんだように、学生も許嫁や恋人を得たら、欠伸がやむかもしれない。そうすると、授業がやりやすくなるだろう。ただし、欠伸がきらいな許嫁兼恋人を学生が得るかどうかは、保証の限りではない。欠伸を嫌わない者もいるだろう。
「既にロシアの油虫は有名である」(宮本百合子『ソヴェト・ロシアの素顔』)とあり、ロシアは、ゴキブリの宝庫らしい。ロシアのゴキブリについて書かれたものを引用しておく。(注 宮本百合子『ソヴェト・ロシアの素顔』から引用した文中の「油虫」は、引用元の文脈から、ゴキブリだとわかる。)

 誰にしても好き嫌ひはあるもので、ゲエテは無駄話家(や)が嫌ひだつた。シヨペンハウエルは女が嫌ひだつた。スウイフトは戸を閉めない人が嫌ひだつた。さういふ変つた毛嫌ひに比べると、ピイタア大帝が油虫を嫌つたのは、別段驚く程の事ではなかつた。
 だが、実をいふと、露西亜には――とりわけ露西亜の田舎には油虫が多いので、大帝が旅行でもする折には、お側(そば)の衆の気苦労は一通りではなかつた。何故といつて、大帝は他(ひと)の家(うち)へ入る時には、室(へや)をきれいに掃除させた上で、
「御覧の通り油虫は一匹も居(を)りませんでございます。」
といふ、家来の保証がなかつたら、夢にも閾(しきゐ)をまたがうとはしなかつたから。
 ある日の事、大帝は自分のお気に入りの家来の別荘へお成りになつた。家来は大帝のお成りを喜んで、室(へや)をきれいに飾りつけた上、色々の献上物(もの)など並べ立てて置いたが、それがひどく気に入つて、大帝はいつにない上機嫌の体(てい)で食卓についた。
 舌触りのいい肉汁(スウプ)を啜(すゝ)りさして、大帝はひよいと顔を持ち上げた。そして側(そば)にゐた別荘の主人に呼びかけた。
「一寸訊いておきたいが、この別荘には無論油虫なぞ居る筈はなからうね。」
 家来は油虫と聞いていたので、またいつものお株が始まつたなと思つた。
「はい、油虫なぞ居る筈はございません。とりわけ掃除には気をつけて居りますので。」
「うむ。それは結構だ。」大帝はまた肉汁(スウプ)を啜り出さうとしたが、やつぱり気になつてならないと見えて、も一度駄目を押した。「ほんとうに一匹も居なからうな。」
「はい。」家来は叮嚀に頭を下げた。「よしんば居りましたところで、決してお目通りへ出て来るやうな事はございません。御覧遊ばせ、あれ、あのやうに生きた奴を一匹針で壁にとめて、虫よけの蠱(まじな)ひが致してございますから。」
「なに、生きた奴が針で突刺してある。」
 大帝は弾(はじ)き飛ばされたやうに椅子から飛び上つた。そして主人の指さす方を見かへると、それは丁度自分の頭の上で、留針(とめばり)で刺された油虫はぴくぴく手足を動かせてゐた。大帝の顔は菜つ葉のやうに青くなつた。
薄田泣菫『茶話』大正八(一九一九)年

これは労働者が自分達の生活の規律と、自身の安全のために清潔にしなければならぬ。それがため南京虫退治にどういう薬があるか、また台所の油虫はどんな風にしなければならぬかというようなことを教えている。
宮本百合子『ソヴェト・ロシアの素顔』

 露国でフィリップ尊者忌の夜珍な行事あり。油虫を駆除するためにその一疋を糸で括(くく)り、家内一同だんまりで戸より引き出す内、家中の一婦髪を乱して窓に立ち、その虫が閾(しきみ)近くなった時、今夜断食の前に何をたべると問うと、一人牛肉と答え、油虫は何をたべると問うと油虫は油虫をたべると答う。まじめにこの式を行えば油虫また生ぜずという。旧信者はこんな式で虫を駆除するは宜(よろ)しからず、かかる虫も天から福を齎(もたら)すから家に留むるがよいと考える(一八七二年板ラルストンの『露国民謡』一五五頁)。支那人は大きな牡鼠一疋を捉え小刀でそのキン玉を切り去って放てば、鼠家に満つるも殺し尽す事猫どころでないという(『増補万宝全書』巻六十)。露人もかくのごとく油虫を同士打ちで死に尽さしめ、さてその全滅を歎き悲しむ表意に、親族が死んだ時のごとく髪を乱してかの式を行うのだ。油虫ごとき害虫も家に留むれば福を齎すというはよく考えると一理あり。
南方熊楠『十二支考 鼠に関する民俗と信念』

人間は、ごきぶりに例えられることがある。ゴキブリ亭主という言葉がある通り。アリマキに例えられる例は寡聞にして知らない。以下の「油虫」も、ゴキブリのことであろう。(このように書くなら「寡聞」とするのは嫌味である。)
 女流声楽家三浦環女史が倫敦(ロンドン)に居る頃、女史の周囲(まはり)には医者や、銀行員や、外交官や、大学の助教授やが油虫のやうに寄つて集(たか)つて、御機嫌取りに色々の進物を女史の足もとに持ち運んで来たものだ。
薄田泣菫『茶話』大正六(一九一七)年

「そんなもの、何代前の母屋かしれたもんか。俺とこが母屋やったら、何処でも母屋や。こんな死にぞこないの、油虫みたいな奴は、どこへへたばりさらすか知れるかい。」
横光利一『南北』

 

加納たちはささやき合った。戦争の音じゃないことは判っていたが、何の音か知れないことが不安であった。
 やがて船は停止した。彼等は着ぶくれた油虫みたいに、ぞろぞろと上甲板に這い出した。そして皆、あっと驚いた。海が一面に凍結していたのだ。
梅崎春生『狂い凧』

従って機関部の人たちに遇うことは殆どなかった。石炭と灰と油に塗(まみ)れて船底(ダンビロ)に蠢(うごめ)いている彼らを、何かと言えば軽蔑する風習が何(ど)の船の甲板(デッキ)部員をも支配していた。機関部の油虫(カクロウチ)なんか船乗り(セイラア)なぞという意気なものではないと為吉も子供の頃から思込んでいた。
牧逸馬『上海された男』

さちよの周囲には、ずいぶんたくさんの男が蝟集(いしゅう)した。その青白い油虫の円陣のまんなかにいて、女ひとりが、何か一つの真昼の焔(ほのお)の実現を、愚直に夢見て生きているということは、こいつは悲惨だ。
太宰治『火の鳥』

 赤石山の、てっぺんへ、寝台へ寝たまま持ち上げられた、胃袋の形をしたフェットがあった。
 時代は賑かであった。新聞は眩(めまぐる)しいほど、それ等の事を並べたてた。
 それは、富士山の頂上を、ケシ飛んで行く雲の行き来であった。
 麓の方、巷や、農村では、四十年来の暑さの中に、人々は死んだり、殺したり、殺されたりした。
 空気はムンムンして、人々は天ぷらの油煙を吸い込んでいた。
 一方には、一方の事は、全で無関係であった。勝手に雲が飛び、勝手に油虫どもが這い廻っているようであった。
葉山嘉樹『乳色の靄』

家附きの油虫か奴隷のやうな、古い日本のひとりの女に還つてゐた。
坂口安吾『母を殺した少年』

最後に、油虫が、アリマキ、ゴキブリいずれを意味するのか分からない例を挙げておく。ただ、なんとなく閑人(筆者のこと)は、ゴキブリをさしているような気がしている。確固たる理由はない。

農家の垣には梨の花と八重桜、畠には豌豆(えんどう)と蚕豆(そらまめ)、麦笛(むぎぶえ)を鳴らす音が時々聞こえて、燕(つばめ)が街道を斜めに突(つ)っ切(き)るように飛びちがった。蟻(あり)、蜂、油虫、夜は名の知れぬ虫がしきりにズイズイと鳴き、蛙の声はわくようにした。
田山花袋『田舎教師』

山蟻、あれなる黄蜂の巣、さては天牛虫(かみきり)、油虫、これに酢模(すかんぽ)、山独活をそへ、いかに常食とはいたし候
高祖保『希臘十字』

朝起きるとまず水風呂を浴びる。ゆっくり爪を磨いて、鰯とバナナの皮を少し召しあがる。それからもし新聞があれば、その上をべたべたと歩き廻って沢山の足跡をつける。気が向けば声をふるわして歌を二つ三つ歌う。あとはたいてい昼寝をなさるとか油虫をつかまえるとか、そんな工合に万事もの優しく上品に一日を送られる。
久生十蘭『ノンシャラン道中記 燕尾服の自殺 ――ブルゴオニュの葡萄祭り――』

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