苜蓿(うまごやし、クローバー)

      2017/04/13

苜蓿(うまごやし、クローバー)

今回は、苜蓿についてまとめる。苜蓿には、うまごやし、あるいは、クローバーとルビを振ってあることが多い。ウマゴヤシなる植物は、黄色い花を咲かせるヨーロッパ原産の牧草である。ウマゴヤシは、シロツメクサの別名でもある。シロツメクサはその名の通り白い花を咲かせる。どちらにせよ、クローバーにかわりはない。苜蓿の用例を挙げていく。




秋とはいっても北地のこととて、苜蓿も枯れ、楡や・柳の葉も最早落ちつくしている。中島敦『李陵』

次に、漱石作品から用例を挙げる。

机の前を離れながら、三四郎に、
「おいちょっと来い」と言う。三四郎は与次郎について教室を出た。梯子段(はしごだん)を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人(ふたり)はその下にすわった。
 

ここは夏の初めになると苜蓿(うまごやし)が一面にはえる。与次郎が入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人(ひとり)が一人に向かって、口答試験を都々逸(どどいつ)で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋(すい)なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。漱石『三四郎』

途端(とたん)に休憩後の演奏は始まる。「四葉(よつば)の苜蓿花(うまごやし)」とか云うものである。曲の続く間は高柳君はうつらうつらと聴いている。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢から醒(さ)めたように我に帰る。  漱石『野分』

高柳君が夢うつつにきいた「四葉の苜蓿花」は、東京音楽学校の教師Rudolph Ernest Reuterが作曲した。関谷敏子、二葉あき子の録音が知られている。ともに、歌詞のなかの「四葉の苜蓿花」を、「四葉のクローバー」とうたっている。二葉あき子のほうが、より英語っぽく発音をしている。

私は十五だつた。そしてお前は十三だつた。
 私はお前の兄たちと、苜蓿(うまごやし)の白い花の密生した原つぱで、ベエスボオルの練習をしてゐた。お前は、その小さな弟と一しよに、遠くの方で、私たちの練習を見てゐた。その白い花を摘んでは、それで花環をつくりながら。堀辰雄『麦藁帽子』

うまごやしにだって、可憐な白い花が咲くって事を、先生は知らないのかしら……。林芙美子『放浪記』

『麦藁帽子』の「苜蓿」と、『放浪記』の「うまごやし」は、シロツメクサのことであろう。シロツメクサは輸送の時、壊れ物の隙間に敷き詰められ、緩衝材として使われていたと何かの本に書いてあったと記憶する。壊れ物と一緒に日本に入ってきて、それが増えたとも書いてあったようである。(閑人(筆者のこと)の記憶だから、信じこんではいけない。)
薄田泣菫は、次のように書いている。

苜蓿(うまごやし)
7・2(夕)

 北欧のある詩人は、外へ出掛ける時には、いつも両方のポケツトに草花の種子(たね)を一杯詰め込んで、根の下(お)りさうな土地を見かけると所構はず何処へでもふり撒(ま)いたさうだ。
 京都の御所を通つた事のあるものは、御苑の植込に所嫌はず西洋種(だね)の苜蓿が一面に生(は)へ繁つて、女子供が皇宮警手(くわうきゆうけいしゆ)の眼に見つからないやうに、そのなかに蹲踞(しやが)んで珍らしい四つ葉を捜してゐるのを見掛けるだらう。
 この苜蓿は丹羽(には)圭介氏が明治の初年欧羅巴(ヨーロツパ)へ往つた時、牧草としてはこんな好(い)い草はないといふ事を聞いて、その種子(たね)をしこたま買ひ込んで帰つた事があつた。さて日本に着いてみると、牛どころかまだ人間の始末もついてゐない頃なので、欧羅巴で考へたのとは大分(だいぶん)見当が違つた。
 さうかといつて、苜蓿を京都人に食べさせる訳にも往(ゆ)かなかつたので(京都人は色が白くなるとさへ言つたら、どんな草でも喜んで食べる)丹羽氏は折角の種子(たね)を、みんな其辺(そこら)へぶち撒けてしまつた。
 それが次から次へと蔓(はびこ)つて、今では御苑の植込は言ふに及ばず、京都一体にどこの空地(あきち)にも苜蓿の生へてない土地(ところ)は見られないやうになつてしまつた。
 苜蓿によく似た葉で、淡紅(うすあか)色の可愛(かあい)らしい花をもつ花酢漿(はなかたばみ)も京都にはよく見かける。この花の原産地は阿弗利加(アフリカ)の喜望峰だといふ事だが、あれなぞも何処かの男が禅坊主にでも食べさす積りで持つて来たものかも知れない。禅坊主は家畜の食べるものなら何でも口にする。唯一つ貘(ばく)の食べる「夢」を知らないばかりさ。「夢」は彼等にとつて余りに上品すぎる。薄田泣菫『茶話』

ウマゴヤシ、シロツメグサのどちらにせよ、クローバーには変わりない。クローバーには、まれに四つ葉が生じる種類がある。今挙げた『茶話』のほかの、四つ葉のクローバーの用例を挙げておく。

苜蓿を私の田舍では「ぼくさ」と呼んでゐるが、その子守は私と三つちがふ弟に、ぼくさの四つ葉を搜して來い、と言ひつけて追ひやり私を抱いてころころと轉げ つた。太宰治『思ひ出』

子守が、「私」とおそらくは「息苦しいこと」をするべく、弟を追いやるのである。四つ葉のクローバーが少ないことの悪用であると言えよう。

堀辰雄『四葉の苜蓿』なる作品がある。以下、『四葉の苜蓿』から引用しておく。

やつと一めんに苜蓿(うまごやし)だけの生えてゐる小高いところに出られた。

四葉の苜蓿は
人の近づく跫音に
耳を傾けてゐる

さう、四葉の苜蓿の方からすれば、本当にさういふ焦れつたさだらう。だが、人一倍勘の悪い私なんぞにはそんな幸福の合図なぞには気がつきさうもない。さう云へば、四葉の苜蓿を捜すことの上手な少女を昔知つてゐたつけが……、その少女は夭折した。堀辰雄『四葉の苜蓿』

今の少女たちは四葉の苜蓿なんぞ何んとも思ふまい。(中略)そのときちらつと横目で見ると、不意に草の上を撫でるやうにしてゐた老婦人の手がすうつと何かに引き寄せられでもするやうに動くと、もう四葉の苜蓿を捜しあててゐた。ターバンを巻いた老婦人はそれを受取ると、にこにこ笑ひながら自分の胸のボタンの孔にそれを挿し込んでゐた。……/私はひさしぶりにそんな好ましい情景を見かけながら、しかもそれが自分の母親ぐらゐの年恰好の独逸人らしい老婦人たち――昔の、そのまた昔の少女たち――によつて行はれてゐるのに、すつかり感動しながら、何か自分までもその傍を通つただけで彼女たちの幸福の割前にあづかることの出来さうな感じさへした。堀辰雄『四葉の苜蓿』

ついでに書いておくが「幸福の割り前」に「私」はあずかることができた。「もう少女らしい少女なんぞといふものは少くとも自分にとつては此の世に存在しないのかと考へがちであつたのに」「私」は、「何もごまかすことの出来ない、それほど純な少女の心……。」を目の当たりにしたのである。「ひさしぶりに一人の少女が見事に少女そのものになつて見せてくれたことに、何よりも、彼女の音楽の妙技以上に感動しながら、」「わが家の方へ帰つて行つた。」(この段落の括弧で囲ったところは、堀辰雄『四葉の苜蓿』からの引用である)

Cloverを、カタカナでかこうとすると、結構なバリエーションがあるらしい。以下、「クローバア」、「クロバー」と表記されている例を挙げる。

柏木は、裏庭のクローバアの原っぱで弁当をひらいていた。唐手部や卓球部の、ほとんど窓硝子の破れ落ちた廃屋の部室が、この裏庭に面していた。三島由紀夫『金閣寺』

 

クローバアの草地は坐るのに佳かった。光りはその柔らかな葉に吸われ、こまかい影も湛えられて、そこら一帯が、地面から軽く漂っているように見えた。三島由紀夫『金閣寺』

『金閣寺』を執筆するにあたって、三島は京都のあちこちを見てまわったときく。大谷大学のキャンパスの植生の歴史を調べれば、三島由紀夫『金閣寺』にでてくるクローバーの種類を無理に同定することもできるだろう。もう暇な研究者がやっていらっしゃるのかもしれないが、クローバーのいろんな種類の葉を好きに連想して読むほうが、閑人の性にあっている。ゆえに、『金閣寺』にでてくるクローバーの種類については、これ以上書かない。最後に、林芙美子『放浪記』から引用をする。

ベニのパパが紹介をしてくれた白樺のしおり描きはとても面白い仕事だ。型を置いては、泥絵具をベタベタ塗りさえすればいいのである。クロバーも百合もチュウリップも三色菫も御意のままに、この春の花園は、アパートの屋根裏にも咲いて、私の胃袋を済度してくれます。激しい恋の思い出を、激しい友情を、この白樺のしおり達はどこへ持って行くのだろうか……三畳の部室いっぱい、すばらしいパラダイスです。林芙美子『放浪記』




この記事を書くにあたり、青空文庫の検索機能を利用した。ルビは、()に入れている。

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