ベートーベン バイオリンソナタ九番 「クロイツェルソナタ」が生んだものなど そのⅡ

      2017/03/27

ベートーベン バイオリンソナタ九番 「クロイツェルソナタ」が生んだものなど そのⅡ

三大バイオリンコンチェルトといえば、メンデルスゾーン、ベートーベン、ブラームスのバイオリンコンチェルトということになっている。ブラームスのバイオリンコンチェルトは、名バイオリニスト、ヨアヒムの協力なしには生まれえなかった、ということはよく知られている。
野村胡堂『楽聖物語』によれば、ヨアヒムとブラームスの交友は、ブラームスのクロイツェルソナタの演奏がきっかけで、始まった。してみると、ブラームスのバイオリンコンチェルトは、ベートーベン作曲バイオリンソナタ九番 「クロイツェルソナタ」が存在しなかったらば、この世に存在することはなかったということになる。(ここまで大げさにかくと、書いているほうが照れる。)
以下、野村胡堂『楽聖物語』から引用する。

二十歳の時にはもう若いヴァイオリニスト、レメニーと組んで、ハンガリーへと楽旅に出かけるブラームスであった。
 ある田舎の小さい町で演奏会を開いた時のことである。開会直前、舞台のピアノが普通のピッチより半音低く調律されていることを知って、まずレメニーは蒼(あお)くなった。が、開場時間が切迫してどうすることも出来ない。ブラームスは平然としてそのピアノに向い、半音高く移調しながらクロイツェル・ソナタを全部暗譜で弾いてしまった。それを聴いて一番驚いたのは、偶然聴衆の中に交っていた大ヴァイオリニスト、ヨアヒムであった。さっそく交を求めて、生涯水魚の念(おも)いが変ることがなかった。  

野村胡堂『楽聖物語』

ブラームスは、約四十年間、ある一人の女性を想い続けていたという。その女性は、シューマンの妻クララであった。シューマンが、自身の妻クララと、ブラームスの関係をどうとらえていたかは知らない。シューマンは、ライン川に身を投げたことが遠因で死の床につく。いまわの際の、最後の一言、「私は知っている」。トルストイ『クロイツェル・ソナタ』と同じく、自分の妻と、未婚の男との関係に悩む夫の物語として、この一連の出来事をとらえることはできるのであろうか。
 仮にそう考えることができるならば、この悲劇も、ベートーベン作曲「クロイツェルソナタ」が生んだものといえるのかもしれない。ブラームスがシューマンの家庭を訪問したのは、ヨアヒムの紹介によってであったからである。ただ、シューマンが脳を侵されていたということを看過することはできないだろう。シューマンの最後の一言が、意味をなさないことになりかねないからである。
 もう一か所、野村胡堂『楽聖物語』から引用して、擱筆する。

 一八五四年、脳を病んでいたシューマンはライン河に投身して危(あや)うく救われた。その後ブラームスはシューマンの恩顧(おんこ)に酬(むく)いるためにシューマンの作品や図書の整理をし、さらにシューマンの療養費を得るために、産後のクララを助けて、遠く演奏旅行に上ったりした。一八五六年七月シューマンが死んだ後は、クララとシューマンの遺孤(いこ)のために、ブラームスは最もよき助言者であり、生涯(しょうがい)変ることなき友人として、陰に陽に助けていった。
 シューマンのブラームスに対する影響は決して小さいものではなかったにしても、僅々(きんきん)二、三年の知己の恩に酬(むく)いるに、その後四十年の長い間、かつて変ることなかりしブラームスの好意は褒(ほ)められるべきものである。

野村胡堂『楽聖物語』

この記事の絵画の情報を付記しておく。René François Xavier Prinet 、Sonata Kreutzer




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