バナナ

      2017/04/07

バナナ

漱石『彼岸過迄』では、敬太郎が「新嘉坡(シンガポール)」で「護謨林(ゴムりん)栽培」を夢みたことがあるとしてある。「護謨林(ゴムりん)栽培」と同じく、バナナにも、南方のものだというイメージがある。

菓物は淡泊なものであるから普通に嫌いという人は少ないが、日本人ではバナナのような熱帯臭いものは得(え)食わぬ人も沢山ある。

正岡子規『くだもの』

倶楽部の人々は二郎が南洋航行の真意を知らず、たれ一人(ひとり)知らず、ただ倶楽部員の中(うち)にてこれを知る者はわれ一人のみ、人々はみな二郎が産業と二郎が猛気とを知るがゆえに、年若き夢想を波濤(はとう)に託してしばらく悠々(ゆうゆう)の月日をバナナ実る島に送ることぞと思えり、百トンの帆船は彼がための墓地たるを知らざるなり。

国木田独歩『おとずれ』

自分の鼻が踏みつけられたバナナ畑の蛙(かえる)のように潰れていないことも甚だ恥ずかしいことは確かだが、しかし、全然鼻のなくなった腐れ病の男も隣の島には二人もいるのだ。

中島敦『南島譚 幸福』

『南島譚 幸福』冒頭部分に「髪の毛が余り縮れてもおらず、鼻の頭がすっかり潰(つぶ)れてもおらぬので、此の男の醜貌(しゅうぼう)は衆人の顰笑(ひんしょう)の的(まと)となっていた。」とあることを付記しておく。

ところが、戦地へ行つてみると、そこの生活は案外気楽で、出征のとき予想したほど緊迫した気配がない。落下傘部隊が飛び降りて行く足の下で鶏がコケコッコをやつてゐるし、昼寝から起きて欠伸(あくび)の手を延ばすとちやんとバナナをつかんでゐる。

坂口安吾『真珠』

台湾にも、バナナが豊富にあったことがわかる。
 

熱帯地方には、色々な果樹が繁生(はんせい)し、この果物の豊醇(ほうじゆん)な味覚は、熱帯に生活するものにとつては、何よりも強い魅惑である。最も私の印象深いものをあげるならば、熱帯の果実の王様であるバナナを初めにあげなければなるまい。此の頃、やつと台湾から、日本にも輸入されるやうになつたが、このバナナに、何百かの種類があると知つてゐるひとは少ないであらう。細いもの、太くてずんぐりしたもの、稜角(りようかく)が顕著なもの、色が白茶けたもの、少し紅色(べにいろ)を帯びたもの、芳香の強いもの、形や味は、まつたく千差万別である。
 私は、熱帯の生活では、おもに、キングバナナや、三尺バナナを特に選んで食べてゐた。稀(まれ)には料理用のバナナを供せられたが、美味とは云へない。繁殖には、ヒコバエを用ひてゐるが、植ゑて十五ヶ月位たつと、高さ十尺から二十尺となり、葉の着生した芯(しん)から、四五尺の偉大な花梗(くわかう)が出て花をつける。果実を結び、花梗は自然に下へ曲り、幹は枯れてゆき、その株から生じるヒコバエがこれにかはり、一年を経ると、また結実する。暑い湿潤(しつじゆん)な風土に適し、土壌は粘質(ねんしつ)で、排水がよければ何処でもよい。だが、風当りの強い、石礫地(せきれきち)や、砂質の石灰岩質の土壌には適さない。バナナは天与の果実で、貧者にも最もよろこばれて、食事のたしに用ひる。バナナが果実の王ならば、女王と云ふべき果実は、マンゴスチーンであらうか。

林芙美子『浮雲』

「その高雄で一悶着が起きてね」
 加納は笑いながら言った。
「れいの婦人会、愛国婦人会てえんですか、それが慰問品を持ってやって来たんです。何を持って来たかというと、ヨウカンとか黒糖などの甘味品だ」
 南下中の列車や軍用船で、いろいろ南方の話題が出る。彼等の希望のひとつが、バナナや生のパイナップル、それらを腹いっぱい食べたいということである。彼等は豊潤な果実に餓えていた。
 彼等はここで一応下船した。別の船に乗り換えるために、高雄で一泊することになった。宿舎は小学校で、そこへ到着した時に、婦人会の面々がやって来たのだ。各教室を廻り、甘味品を支給する。婦人会長らしい五十女が、恩着せがましいような、いやがらせのような言い方をしたので、加納たちは少しむっとした。彼女らも軍隊ずれをしていて、将校は大切にするが、下士官兵に対しては、子供扱いにする気配があったのだ。城介が立ち上って、次のような意味の発言をした。
「自分たちはこんなヨウカンの如きものは食べ飽きている。バナナとかパイナップルとか、そんな果物を持って来てもらいたい」
 向うもぐっと来たらしい。バナナなどというのは、当地では俥夫(しゃふ)馬丁が食うもので、皇軍ともあろうものががつがつと食べるものでない。少時いささか険のあるやりとりがあって、座がしんと白けた。
「城介君は頭にかちんと来たんだね。眼がきらきらと光って――」
 加納の言葉を聞きながら、私は東京の遊園地での城介のあの眼を思い出していた。何か思いつめたような、凶暴にさえ見えるあの眼の動きを。
「おい。皆」
 城介は振り返って呼びかけた。
「ヨウカンなんかに手をつけるんじゃないぞ。おれがバナナ屋を呼んで来る」
 城介は教室の窓から飛び出し、街からバナナ売りを連れて戻って来た。波止場から宿舎に移動中、バナナの行商がたくさんいるのを見ていたのだ。皆は喜んで買って食べた。
「あちらではね、バナナはキンチョウと言って、安かったね。一房が十五銭か二十銭くらい。あちらの連中は、安くてすぐ手に入るし、それこそ食べ飽きている。戦前の日本で言えば焼芋みたいで、あまり上品な食べ物とされていない。そこに食い違いがあったんですな」
 とうとう甘味品には手をつけず、そっくり婦人会に返上してしまった。婦人会長もむかむかしたのだろう。その事実を上層部に報告に及んだ。
「慰問品を受取らなかった者は出頭せよ」
 将校室からそんな伝達が来た。城介は皆を制した。
「おれ一人で大丈夫だ。ぞろぞろ行くのは、みっともない」
 城介一人が責任者として行き、一時間ぐらいして戻って来た。加納は聞いた。
「どんな具合だった?」
「何でもないよ。あんまり派手なことをするなよと、言われただけだ」
 城介は笑いながら説明した。
「そのあとでスコッチウィスキーを御馳走になったよ。やはりパイチュウよりもうまいなあ」

 部隊はその小学校に一泊し、翌日また高雄から乗船した。各自の手によって、バナナ類も持ち込まれた。
「バナナ、おいしかったですかね?」
 私は訊ねた。
「バナナはもぎ立てはダメで、追熟(ついじゅく)させないとうまくないと聞いたが――」
「いや。うまかったですよ」
 加納は答えた。
「しかしパイナップルは案外不味かった。がさがさしててね。あれだけは罐詰に限ると思った」
 バナナを食べ過ぎて、下痢患者がすこし出た。現地に行けばいくらでも食べられるというわけで、廃棄を命じられた。衛生部隊から病人を出しては、威信に関するのである。

梅崎春生『狂い凧』

南方の産物であったせいでもあろうが、バナナは、珍しいものであった時期もあった。

僕は母の発狂した為に生まれるが早いか養家に来たから、(養家は母かたの伯父の家だった。)僕の父にも冷淡だった。僕の父は牛乳屋であり、小さい成功者の一人らしかった。僕に当時新らしかった果物や飲料を教えたのは悉(ことごと)く僕の父である。バナナ、アイスクリイム、パイナアップル、ラム酒、――まだその外にもあったかも知れない。

芥川龍之介『点鬼簿』

私は草深い田舎(いなか)で育って、二十歳(はたち)近くになってから、初めて電灯や電話のある大都会に出て参りました。そのためか、私の舌は都会の食物に対して、すべて好奇心と情熱とに燃えました。私は二十歳近くになってから、初めてバナナというものを食べ、世の中にかくも美味な果物があったのかと、つくづく造化の神を讃美する心持になったことがあります。

野村胡堂『奇談クラブ〔戦後版〕食魔』

わたくしの若い時分、明治三十年頃にはわれわれはまだ林檎(りんご)もバナナも桜の実も、口にしたことが稀であった。むかしから東京の人が口にし馴れた果物は、西瓜(すいか)、真桑瓜(まくわうり)、柿、桃、葡萄、梨、粟、枇杷(びわ)、蜜柑(みかん)のたぐいに過ぎなかった。梨に二十世紀、桃に白桃水蜜桃ができ、葡萄や覆盆子(いちご)に見事な改良種の現れたのは、いずれも大正以後であろう。
 大正の時代は今日よりして当時を回顧すれば、日本の生活の最豊富な時であった。一時の盛大はやがて風雲の気を醸(かも)し、遂に今日の衰亡を招ぐに終った。われわれが再びバナナやパインアップルを貪り食うことのできるのはいつの日であろう。この次の時代をつくるわれわれの子孫といえども、果してよく前の世のわれわれのように廉価を以て山海の美味に飽くことができるだろうか。永井荷風『葛飾土産』
引用した箇所には、昭和廿二年十月と日付が付されている。平成も終わろうとしている今日、バナナは、安く手に入る。食事を安く上げようと思えば、バナナを一房買えばよい。安く買えば、百円でおつりがくる。

南方のバナナが日本ではどのように供給されたか。まずは、レストランや食堂でバナナが提供されている例を見よう。
それから夫はナイフやフォオクをとり上げ、洋食の食べかたを教え出した。それもまた実は必ずしも確かではないのに違いなかった。が、彼はアスパラガスに一々ナイフを入れながら、とにかくたね子を教えるのに彼の全智識を傾けていた。彼女も勿論熱心だった。しかし最後にオレンジだのバナナだのの出て来た時にはおのずからこう云う果物の値段を考えない訣(わけ)には行(ゆ)かなかった。

芥川龍之介『たね子の憂鬱』

それから或レストオランの硝子戸を押してはひらうとした。が、硝子戸は動かなかつた。のみならずそこには「定休日」と書いた漆(うるし)塗りの札も下つてゐた。僕は愈(いよいよ)不快になり、硝子戸の向うのテエブルの上に林檎(りんご)やバナナを盛つたのを見たまま、もう一度往来へ出ることにした。

芥川龍之介『歯車』

その中でも面白かったのは、食卓を共にした亜米利加(アメリカ)人の夫婦と、東西両洋の愛を論じた時である。この亜米利加人の夫婦、――殊に細君に至っては、東洋に対する西洋の侮蔑に踵(かかと)の高い靴をはかせた如き、甚横柄な女人だった。彼女の見る所に従えば、支那人は勿論日本人も、ラヴと云う事を知っていない。彼等の曚昧は憐むべしである。これを聞いたルウズ氏は、カリイの皿に向いながら、忽(たちまち)異議を唱え出した。いや、愛の何たるかは東洋人と雖も心得ている。たとえば或四川の少女は、――と得意の見聞を吹聴すると、細君はバナナの皮を剥きかけた儘、いや、それは愛ではない、単なる憐憫(ピティ)に過ぎぬと云う。するとルウズ氏は頑強に、では或日本東京の少女は、――と又実例をつきつけ始める。とうとうしまいには相手の細君も、怒火心頭に発したのであろう、突然食卓を離れると、御亭主と一しょに出て行ってしまった。

芥川龍之介『長江游記』 

船上での出来事である。ピテイという字から、漱石『三四郎』を思った方も多かろう。『三四郎』では、与次郎が「Pity’s akin to love」を「かあいそうだたほれたってことよ」と翻訳し、広田先生から苦い顔をされる。

レストランや、食堂以外でバナナが供給される例を挙げる。

あまり女が通らない時は、往来を見ないで水菓子を見ている。水菓子にはいろいろある。水蜜桃(すいみつとう)や、林檎(りんご)や、枇杷(びわ)や、バナナを綺麗(きれい)に籠(かご)に盛って、すぐ見舞物(みやげもの)に持って行けるように二列に並べてある。庄太郎はこの籠を見ては綺麗(きれい)だと云っている。商売をするなら水菓子屋に限ると云っている。そのくせ自分はパナマの帽子を被ってぶらぶら遊んでいる。

夏目漱石『夢十夜』

実際にバナナが土産物とされる例を二つ挙げる。どちらの用例でもバナナは籠に入れられている。バナナが籠に入れられていることから、露店や夜店ではなく、果物屋で贖われたものだという印象がある。

その間(あいだ)に神山は、彼女の手から受け取った果物の籠をそこへ残して、気忙(きぜわ)しそうに茶の間を出て行った。果物の籠には青林檎(あおりんご)やバナナが綺麗(きれい)につやつやと並んでいた。

芥川龍之介『お律と子等と』

 

より江は何かしらとおもって走ってゆきますと、昨夜(ゆうべ)のおじさんが、バナナの籠(かご)をさげて板の間へ腰をかけていました。お母さんはにこにこ笑(わら)って、
「わたしは、まァ、心のうちで泥棒じゃなかったかしらなんて考えていましたんですよ。」
 といっていました。
 おじさんは、新らしく来たこの県の林野局のお役人で、山から降りしなに径(みち)に迷ってしまって、雨で冷えこんで、腹を悪くしたといっていました。
「ほんとに、薬を飲んだときはやれやれとおもいましたよ。これはお土産(みやげ)ですよ。」
 そういって、紐(ひも)でくくった傘(かさ)とバナナの籠を土間に置いて、より江の頭をなぜてくれました。

林芙美子『蛙』

バナナは、貸した傘のお礼だろう。露店でバナナが商われることは、有名であろう。閑人は、実際に見たことはないが、少し上の世代になると、バナナが露店で商われることは、そう珍しいことでもなかったときく。
 路ばたに商ふ夏蜜柑やバナナ。敷石の日ざしに火照(ほて)るけはひ。町一ぱいに飛ぶ燕。
 丸山の廓の見返り柳。

芥川龍之介『長崎』

晩になると大抵その前にバナナ屋の露店が出て、パン/\戸板をたたいたり、手をうったり、野獣の吠えるような声で口上を叫んだりしながら、物見高い散歩の人々を群がらせているのに誰しも気がつくであろう。

加能作次郎『早稲田神楽坂』

彼は更に上野山下に廣告係の家を訪ねたが不在であつた。廣小路の夜店でバナナを買ひ、徒歩で切通坂(きりどほしざか)を通つて歸つた。
 食後、千登世はバナナの皮を取りながら、
「でも樂になりましたね」と、沁々した調子で言つた。

嘉村礒多『業苦』

 翌日から、他吉がひとりで夜店へ出て、七味唐辛子の店を張った。
 場割りの親方が、他吉を新米だと思ってか、
「唐辛子はバナナ敲きの西隣りや」
 と、いちばんわるい場所をあてがうと、他吉はいきなり「ベンゲットの他あやん」の凄みを利かせて、良い場所へ振りかえて貰ったが、
「ああ、七味や、七味や、辛い七味やぜ、ああ、日本勝った、日本勝った、ロシヤ負けた。ああ、七味や、七味や!」
 普通爺さん婆さんがひっそりと女相手に売っている七味屋に似合わぬ、割れ鐘のような掛け声をだしたので、客は落ち着いて、七味の調合にこのみの注文をつけることも出来ず、自然客足は遠ざかった。

織田作之助『わが町』

母は多賀神社のそばでバナナの露店を開いていた。無数に駅からなだれて来る者は、坑夫の群である。一山いくらのバナナは割によく売れて行った。

林芙美子『放浪記』

 さて、どっこいしょ!
 いやに躯(からだ)が重たいな。バナナのたたき売りが一山十銭。ずるずるにくさりかけたのを食べたせいか躯中に虫がわいたようになる。朝っぱらから、何処(どこ)かで大正琴を無茶苦茶にかきならしている。

林芙美子『放浪記』

賣店の女の顏の明るさはアスフアルト敷くこの街の顏

行ずりに見し外人の瞳かも土曜の夕のそゞろ歩きに

客を呼ぶ馬車屋の笛のあわれさや逗子驛頭の冬のたそがれ

たたき賣るバナナ屋の聲寒寒と宵のしゞまを破りて流る

櫻間中庸『街』

バナナのたたき売りの声も、チャルメラの音と同様、どことなく郷愁を誘うものだったのかもしれない。
レストランや、食堂以外で売れば、店の外で食べるということになる。

父が突然死んで了った。私は海峡を渡るとバナナを四日間たべつづけて、まだ知らぬ街まで出かけて行った。

横光利一『青い大尉』

(全く自信を取りかえしたものの如く、卓上、山と積まれたる水菓子、バナナ一本を取りあげるより早く頬ばり、ハンケチ出して指先を拭い口を拭い一瞬苦悶、はっと気を取り直したる態(てい)にて、)私は、このバナナを食うたびごとに思い出す。三年まえ、私は中村地平という少し気のきいた男と、のべつまくなしに議論していて半年ほどをむだに費やしたことがございます。

太宰治『喝采』

買ったバナナを、屋内で食べず、屋外で食べると、皮の処理の問題が生じる。三四郎が、食べた弁当の折を汽車の窓から捨てる場面がある。同じように捨てると、道なり床なりにバナナの皮が散乱することになる。

 夜店の後の街路には蜜柑の皮やバナナの皮が散らばつてゐた。哲郎は其処を歩きながら今の女は何処へ往つたらうと思つて、向ふの方を見た。向ふには薄暗い闇があるばかりで人影は見えなかつた。彼は女は何処かこのあたりの者であらうと思つた。

田中貢太郎『青い紐』

 春婦たちは船を繋(つな)いだ黒い縄を跨(また)ぎながら、樽の間へ消えてしまった。後には踏み潰(つぶ)されたバナナの皮が、濡れた羽毛と一緒に残っていた。突堤の先端に立っている警羅(けいら)の塔の入口から、長靴を履(は)いた二本の足が突き出ていた。

横光利一『上海』

通路には、林檎やバナナの皮、グジョグジョした高丈(たかじょう)、鞋(わらじ)、飯粒のこびりついている薄皮などが捨ててあった。

小林多喜二『蟹工船』

バナナの皮を踏めば滑る。めったに足元におくべきものではない。しかし実際に、バナナの皮で滑る人なんているのだろうか、という疑問を閑人(筆者のこと)は抱かないでもない。バナナの皮ですってんころりというのは、古典的なギャグであろう。バナナの皮を踏んで滑ることに言及してある例。
趙はその時、持って来た鞄(かばん)の中からバナナを一房取出して私にも分けてくれた。その冷たいバナナを喰べながら、私は妙な事を考えついた。今から思うと、実に笑い話だけれど、其の時私はまじめになって、此のバナナの皮を下へ撒(ま)いておいて、虎を滑らしてやろうと考えたのだ。勿論私とても、屹度(きっと)虎がバナナの皮で滑って、そのためにたやすく撃たれるに違いないと確信したわけではなかったが、しかし、そんな事も全然あり得ないことではなかろう位の期待を持った。そして喰べただけのバナナの皮は、なるたけ遠く、虎が通るに違いないと思われた方へ投棄てた。さすがに笑われると思ったので、此の考えは趙にも黙ってはいたが。さて、バナナは失(な)くなったが、虎は仲々出て来ぬ。

中島敦『虎狩』

そのペイブメントの上を見ているのではないことは、その上に落ちていたバナナの皮を無雑作(むぞうさ)に踏みつけたのをみていても知れる。バナナの皮を踏んだものは、大抵(たいてい)ツルリと滑べることになっているが、この紳士もその例に洩(も)れずツルリと滑ったのであるが、尻餅(しりもち)をつく醜態(しゅうたい)も演ぜずに、まるでスケートをするかのように、鮮(あざや)かに太った身体を前方に滑(すべ)らせて、バナナの皮に一と目も呉(く)れないばかりか、バナナの皮を踏んだことにも気がつかないようにみえた。そこで紳士は、急に進路を左に曲げて、ある大きな石の門をくぐって入った。守衛が敬礼をすると、紳士は、別にその方を振りむいてもみないのに、鮮(あざや)かに礼を返したが、その視線は、更に路面の上から離れなかった。軽く帽子をとったところをみると、前頂(ぜんちょう)の髪が可(か)なり、薄くなっている。年の頃は五十四五歳にみえた。

海野十三『国際殺人団の崩壊』

常々平身低頭の下役に気を良くして腹蔵なく威張つてゐると、宴会の夜更けにビールの壜で後頭部を粉砕され、それまでの人生となつてしまふ。何食はぬ顔をしてバナナの皮をプラットホームへ投げすてておいて、人がひつくり返つて線路へ落ちて電車にひかれてしまふのを待ちかまへてゐる男もある。

坂口安吾『総理大臣が貰つた手紙の話』

いったいアメリカの巡査というと、いつもチャアリイ・チャップリンにお尻を蹴られたり、怒って追っ駈けようとする拍子(ひょうし)にバナナの皮を踏んで引っくり返ったりなんか、つまり、あんまりぱっとしない役目の喜劇的存在とばかり、どういうものか概念されている傾向があるが、ああ見えても、生まれつき神経の太いアイルランド人が多いせいか、いざとなるとなかなか眼覚(めざま)しい活躍をやるのである。

牧逸馬『チャアリイは何処にいる』

バナナに関する比喩表現を挙げておく。

 

浜には今年流行の背中の下まで割れた海水着の娘や腰だけ覆(おお)って全裸の青年達が浪に抱きつき叩(たた)かれ倒され、遠くから見る西洋人の肌は剥(む)き立てのバナナのようにういういしい――小田島は突然顔を赫(あか)らめた。

岡本かの子『ドーヴィル物語』

無慮(おおよそ)二十通位の手紙がバナナのように机の上に積み重ねられた。

平林初之輔『オパール色の手紙――ある女の日記――』

太宰は、その近作の中で明かに自殺しているが、それだから、現実に自殺をしなければならぬという性質のものでもない。
 私は然し太宰が気の毒だと思うのは、彼が批評を気にしていたことである。性分だから、仕方がない。それだけ可哀そうである。
 批評家などというものは、その魂において、無智俗悪な処世家にすぎないのである。むかし杉山平助という猪のようなバカ者がいて、人の心血をそそいでいる作品を、夜店のバナナ売りのように雑言をあびせ、いい気になっていたものだ。然しその他の批評家といえども、内実は、同じものである。
 太宰はそんな批評に、一々正直に怒り苦しんでいた。

坂口安吾『ヤミ論語』

 文士の仕事は、批評家の身すぎ世すぎの俗な魂によって、バナナ売りのバナナの如くに、セリ声面白く、五十銭、三十銭、上級、中級と評価される。
 然し、そんなことに一々腹を立てていられない。芸道は、自らのもっと絶対の声によって、裁かれ、苦悩しているものだ。

坂口安吾『太宰治情死考』

汽車に乗る。野も、畑も、緑の色が、うれきったバナナのような酸い匂いさえ感ぜられ、いちめんに春が爛熟(らんじゅく)していて、きたならしく、青みどろ、どろどろ溶けて氾濫(はんらん)していた。いったいに、この季節には、べとべと、噎(む)せるほどの体臭がある。

太宰治『八十八夜』

ちなみに、Go bananaで、くるくるパーになるという意味だそうで。バナナに失礼になりゃせんかいな。

 - 文学作品の中の食物